南国食堂

作・なかまくら

2008.6.15

白い道が向こうのほうまで、緩やかなカーブを描いて続いています。道の片側には石垣が積んであり、その向こうには大海原が広がっていて、胸いっぱいに空気を吸い込めば、すっかり馴染んだ潮の香りが私の心を味付けしてくれます。

私は麦藁帽子を被って、その道を自転車で通ります。背中にはリュックサックを背負い込んで、すこしだけがたがたと揺れる道を走っています。

左側、すこし向こうの方にヤシの木が一本。ホテルの脇に植えられたもので、今にも落っこちてきそうなヤシの実が今日もびくりともしようとしません。そのまた向こう側に私の店があります。木造平屋を真っ白に塗り上げてみました。いつもながらのその驚きの白さに私は歯を見せてにかっと笑いました。

『南国食堂』、私のお店。



私は入り口を横目に、裏口へ回ります。南の国にも裏口はちゃんとあります。ポケットの中で、鍵探し。こっちは自転車の鍵で、携帯のストラップが邪魔をして、えいえいやっ、と鍵を引っ張り出します。鍵には『南国君』のキーホルダーがついています。私がこっちに来て、つい買っちゃった私のお友達。ぐるりと回って、ポケットに戻っていきます。おやすみ。

「ただいま」

誰もいない食堂にとりあえずあいさつ。今日の私が始まる気がして、いつもここから。

開店時間はまちまちだけど、とりあえず今日は早めにご飯が炊けたから、今を持って開店することにしました。かいてーん!

『CLOSE』を『OPEN』にくるっと回して、口ずさんでみたけれど、別にお客さんが来るわけじゃないのです。最近ゲットした常連さんも今日は用事があるとかで、今頃は飛行機の中でしょう。カウンターテーブルに頬杖ついて、ぶすっとしていた私を金魚すくいみたいに巧みな技で彼は掬い上げてくれたのです。彼には感謝しています。

暇もたまにはいいものです。携帯電話を開いてみると、親からメールが来ていました。内容はいつもとおんなじ。ふるさとに帰ってきなさい、そんな一点張りでは私は破れはしません。ぴんしゃんと張り切って、一年やってきたのです。



お昼頃になって、日本人の観光客が何人かいらっしゃいました。彼女らは私にぺらぺらと話しかけてくれます。「どうしてここでお店をやっているんですか」「大変ですねぇ」「ご飯おいしいです」とかなんだかいろいろ。そんなに日本語が珍しかったかしら。普段散々話してるでしょうに。べらべらとお話が続いて、お昼ちょっと前に帰って行きました。



お昼をちょっとすぎると、途端に天気が悪くなりました。雷がごろごろとなり、吹きぬける風が湿気を含みます。私は南の国に来る前は南の国はいつでも晴れなのかと思っていました。

次第に勢いを増していく雨音が急かすように、たくさんの人が道を走っていきます。そのうちの何人かは南国食堂に避難してきます。カランカラン、歓迎のベルがひっきりなしに鳴って、席がどんどん埋まります。並べられた四角い机に知らない人が隣り合う。これが食堂だと思うのです。

そんな微笑みを浮かべてから、私は手を洗って一息つきます。

さあ、慌しくなります。右に左に注文があるから私は懸命にメモします。貼り付けられた注文用紙を目に、冷蔵庫のドアを開きます。

魚を焼いて、煮物の味を確認して、野菜を炒めながら、フライをバットに揚げました。くるりくるりと私は動きます。できた料理はカウンターに並べて、申し訳ないですが取りに来てもらいます。ごめんなさいね、ごめんなさいね。椅子の間を通るときの、そんな心遣いも私は大好きです。



一日分くらいぐったり疲れて、私は珈琲を飲みます。砂糖はもちろんたっぷり入れて、一口飲んでほぅ、と息を吐きました。片付けられてない食器もいくつかあるけど、とりあえずは一休み。雨も止んだので、しばらくはゆっくりできると思います。

そんな時、カランとひとつベルがなりました。

「いらっしゃいませ」

言ってから、慌ててテーブルを片付けます。急いでふきんで拭いてしまおうと思っていると、

「ああ、いいですよ。ここだけ片付けてもらえれば」

「いえ……はい」

その声が暗いのが少し気になりましたが、そうもいかないので片付けていきます。

「注文何にしますか?」

「いえ……あ、はい。えーと……何がありますか?」

「はい。カウンターの上にメニューが書いてありますよ」

「ああ、ええと……」

「えーと……とりあえず珈琲でもどうですか?」

「……はい、じゃあそれお願いします」

とりあえず私はカウンターに戻って、珈琲をカップに満たします。それから砂糖とスプーンをつけて、お盆に載せました。

「お待たせしました」

これは私の特製珈琲です。ちょっと元気がなさそうな彼には元気になってほしいから。私からの優しさの魔法が詰まってます、なぁんてね。自己満足です、ごめんなさい。



「はいどうぞ」

「ありがとう」

コトリと少しだけ音を立ててカップを机に置きました。

「ひどい天気でしたね」

私は食器を水につけて、話しかけてみた。

「ええ…ひどい雨でした」

彼は少し驚いたようにこちらを見ましたが、返事をしてくれました。少しだけ嬉しくなって私は話しかけます。

「私こちらに来る前、南の国は晴れの日ばかりだと思っていました」

「はい」

「なんだかここはいつでも真夏なんじゃないかと思っていたんです」

「はい」

「だってここには皆さんの笑顔が溢れていると思ったんです」

「はい……そんなことないですよ」

ちょっぴり勇気を出して言ってみましたが、あっさり否定されてしまいました。

「私の国では「笑う門には福来る」っていう言葉があるんですよ」

私はちょっぴり自慢気に言う。私の座右の銘だから。

「はい」

「笑っていれば幸せは向こうからやってくる。いい天気だと気持ちよくなりませんか?」

「……晴れだけが幸せとは限りませんよ」

私は、ちょっとだけたじろいでしまったので、おとなしくしばらく食器を洗いました。カチャリカチャリと食器が音を立てます。

「ぼくね……やらないといけないことがあるんです」

「え?」

「いや、やっぱりいいです」

私は洗いものの手を止めて、カップと自分のちいさなカップを取って、彼の近くに座りました。

「珈琲おかわりどうです?」

「……どうも」

「『困難は分割せよ』って言葉、知りません?」

私は天井のシーリングファンの羽の数を数えてみます。

「はい?」

「悩みごとは人に話すとちょっとだけ楽になりますよ。私でよかったら悩みごとを少しいただきましょう。そう、ここは食堂ですから」

なんだかよく分からないことを言っている人になってしまったかもしれません。それでも、彼はなんだか思いつめた顔をしていたので。食堂のおばちゃんとしては放っておけなかったのです。みんなのおばちゃんですから。



「ありがとうございましたっ!」

語尾がちょっぴりはねてしまって、彼に苦笑いされました。

私は照れ笑いしました。今日はそろそろお店を閉めます。ここにいるといろんな人から元気をもらえます。元気って、いろいろで、そのひとつひとつがとても美味しいのです。

あ、私なんだか妖怪みたいなこと言っていますね。

私は扉にかかっている札を『CLOSE』にひっくり返します。

それから振り返って店内を見回します。

ずらりと並ぶ机と椅子。それから、ちょっとだけ残る元気の香り。

『南国食堂』、私のお店。









あとがき

ああ、南の国にいってみたいなぁ。整備された道もいいけど、田舎道もまた一興