スカイ・イン・ザ・スイカ

作・なかまくら

2008.12.16

「そしてクロネコロビタンゴは浅い眠りの中へとかえっていった、と」

「・・・おしまい?」

「おしまい」

「・・・結局それで、何が分かったの?」

「何も」

「何も?そんなことはないでしょ?それは実際にあったお話じゃなくて、誰かの作った物語なんだから。物語には始まりがある。同じように、それとなく終わりがある」

「“物語”には?」

「そうさ。もしもこれが実際のお話だったら、そうはいかない。何もかもが分からなくて、多すぎたり少なすぎたりして、何かに苦しみ、苦しめられるんだ」

いうなればそれは夢のようなひと時で、一炊の眠りが彼らからすべてを奪い去ってしまうようで。そんな危うい緊張感が漂う南国の、ビーチしかない小さな離れ小島。

気がつけば波に飲まれてなくなっているかもしれないそこには、ふたり、こぎれいな服を着た人間がいた。

見渡す限りは、海とも知れぬ砂とも知れぬ、ただどうしようもない茫漠とした何かに充たされ、ちっぽけな彼らにはもはや為す術のない外側が広がっていた。

「静かだね」

「…そうだね」







「みんな、整列は済んだのだろうな!?」

「もちろんです、キャプテン!」

「では番号!」

「いち!」

「に!・・・」

アポロ11号のアームストロング船長が着ていたような白く、てかてか光った宇宙服がずらりと並ぶ。自分に名づけられた番号を声高らかに叫び、安心して隣に目をやる。最後尾の隊員が大きく頷き、声を上げる。

「以上、二名!無事整列しました!」

「よろしい。では、航海を続ける」

日常業務を終えて艦長がその船の一番高い席に座った。そこに二人の隊員達が集まる。

「艦長!」

「なんだね、ユージンクスプートニクス君」

そう呼ばれた女性隊員は、少しの恐れと迷いを抱えながらも、勇猛にして果敢なる質問を口にした。

「艦長、我々はどこへ向かっているのでしょう?」

「そんなこと私に分かるわけはないだろう?だが、我々にはこのコンパスがある。かつて、神がはぐれそうな天使に手渡したといわれる品物だ。この世でもっとも正しい方向を指してくれているはずだ」

「今、その針はどこを指しているの?」

別の隊員がコンパスを確認しようと艦長に歩み寄る。艦長は腕を上げ、迷うことなく一点を指差した。

「よい質問だ、アニメルトマニアリス君。針は未だ、ただ、下を指している。もちろん一瞬たりとも揺らぐことはない」

「でも、もう随分長い時間が流れました」

「ねえ…今だけは、私たちの行く末を聞いているの。その薬指を飾る指輪に誓って言える?私たちは、正しい進路をとっているの?」

アニメルトマニアリスは、真っ直ぐに艦長の中の夫を見た。

「……言える」

艦長はその言葉を真っ直ぐに返した。

「でも!我々を見送った者たちも、もはや私たちを忘れてしまっているかもしれません。かつて戦争が終わってもジャングルに隠れ続けた日本兵のように、私たちは取り残され、忘れられていくのではないでしょうか?」

あの日、確かに輝いていた日光と、草の香りのする我が家。それから、旅立ちを見送る友人たち。その顔のひとつひとつが、彼らの脳裏に次々と浮かんで、胸をいっぱいにした。

「…お風呂、入りたいなぁ……」

コーヒーメーカーがこぽこぽと音を立てて、いい香りを室内に満たす。

「焼肉も食べたいし、ウインドウショッピングだってしたい」

「そうね、そろそろ美容院にも行きたいわ……」

「私たちは未来を託されたのだ!分かっているだろう!!」

艦長の声が決して狭くないデッキに響いた。外には赤い宇宙が広がっている。

目を凝らせばその中で、いくつもの船が時空の歪みに捕らえられてその活動を止めていた。血の通っていない宇宙の色は、どこまでも冷血で、見通しのきかないことが一層彼らには恨めしく感じられた。

「そんなことくらい、わかっているわよ……」

「楽園の夏は永遠には続かない。やがては冬になり、・・・空飛ぶ時間の使者が舞い降りる」

「・・・空飛ぶ時間の使者っ!」

艦内の空調機が温度の変化を感じて、音を立てて動き出す。珈琲の香りは流され、変わりに浄化された空気が入ってくる。

「空飛ぶ時間の使者は唯一絶対の言葉を口にするだろう」

「・・・やめて!」

口をつぐんだ艦長の代わりにアニメルトマニアリスが続ける。

「その使者は手紙を持ちて約束の地に降り立つ。だが、その手紙には何も書かれてはいないだろう」

「やめてって!!」

誰もが知ることを、誰にともなく呟くアニメルトマニアリスに銃が突きつけられる。

「今更何を焦っているの?」

「やめないのなら、本当に撃つわ・・・」

「撃たないわ。だって、あなたと私は友達だから」

鳴り止まない心臓の鼓動に苦しむように、ユージンクスプートニクスは肩で大きく息をしていた。

「空飛ぶ時間の使者はそこには何もないことを知っているから!だから、私はあなたを撃てる」

「空飛ぶ時間の使者は知っているから。それはみんな知っていたことだって」

アニメルトマニアリスは、ユージンスプートニクスにゆっくり向き直った。

「撃てるわ。私はあなたを撃てる」

「いいえ、撃てないわ」

船は赤い海を進む。その赤い色が船内に入ってこないのは、まだ本当にそれを信じていないから。冗談のように絶望を口にし、すべては夢であるように語る。そんなひそやかな声たちが、海の中には広がっている。





「『我々は見つけなければならない。新たなるエネルギーを』

『宇宙の縮小を食い止めるために』

『新たなる時代を迎えるために』

ユージンクスプートニクス、アニメルトマニアリス…それから艦長。

夕立の中彼らが叫んだ言葉は誰かに届いたのかな?」

ビーチにはしとしとと雨が降っている。一本だけ生えたヤシの木の葉から規則的にキラキラとしずくが零れ落ちていく。それはまるで、時間そのものをあらわしているようで、誰かが見たら、あるいはそれを空飛ぶ時間の使者といったのかもしれない。

「竜宮城から降り出した雨だ。時間の歪みに囚われて今頃はどこかの座礁した船の船長の心の中にでも響いているのだろうさ」

「・・・ねえ、気になってはいたんだけどさ・・・・・・その無線機、使えないのかな?」

「これのこと?」

そこには古ぼけた無線機があって、雨にぬれて、幾分か綺麗に見えた。

「使えば、誰か来てくれるかもしれない。彼らは道を知っていて、僕らを導いてくれるかもしれない」

「逆に聞こうかな・・・直ったところで誰につながるんだい?僕らは誰とつながっている?君の小指を見てごらん?」

「・・・・・・何もない」

「そういうことさ。ここにいる限り僕らは果てしなく自由さ。働けなんていわれない。早くお風呂に入れとも、ご飯を食べる前には手を洗いなさいとも言われない・・・だから、ずっとここにいていいんだよ」

「でも・・・」

「ん?」

「自由すぎて、何をしたらいいのか僕には分からないよ。お腹も減らない。眠くもならない。かゆいところには手が届くし。・・・なにもできない」

「そうだな・・・たとえば歌えばいいんじゃないかな」

「誰に?」

「そうだな、もしかしたら通るかもしれない救世主に向けて・・・とか、どうかな?」

「救世主は、僕らとは赤の他人なのに?」

「僕らは行き詰った。限界が見えてしまった時点で、僕らはここにたどり着いた。いや…逆なのかな。ここにたどり着いたから、崩壊してしまうのかも。でも、向こう側を行く誰かは、それを通り越せるかもしれないだろう?」

「そうだね……じゃあ、歌うよ?」

「うん」

「歌うから……」

隣にいるのに遠くに向かって、誰かに歌を歌った。なんとなく地鳴りが聞こえるような気がして、そんな気分を一緒に載せて歌ってやった。

言葉が風化したように、歌が風化したように。

みんな砂になってしまった海が、何か共鳴しているような、綺麗な色に染まった。







「やった!我々はついに空飛ぶ時間の使者よりも早く、この地にたどり着いた。見ろ、コンパスは我々の真上をさしている」

艦長が歓喜の叫びを上げる。

それは妙に乾いていて、艦長自身むなしくなって喜ぶのを一度やめた。

そうね、と二人が目を離さずに答えた。拳銃を持つ手が少しも震えることなく、構えられていた。

「でも、私たちは何がしたいの?今一番やることがわかっているのは、この拳銃なのかもしれないわね」

「そうね」

永遠にこのままなのではないかと思えて、艦長はたまらず叫んだ。

「二人ともやめないか!・・・・・・やめてくれよ・・・いつまでやっているんだ!みんな間違っていたんだ。この場所はあったんだ。そして、艦長は私なんだ・・・」

でも、とユージンクスプートニクスは艦長に言葉を返す。

「まだ強い日差しが差し込んでいた食堂で、あなただけは深海から来たというメッセージを大切そうに握り締めていたわ。未来の作り方も知らないくせに、私たちを巻き込んで・・・その手紙にはなんて書いてあったの!?」

「それこそが空飛ぶ時間の使者からの手紙なんじゃないの!?ええ、おしまいなのよ。なにもかも・・・」

「ちがう!そうじゃない。確かに・・・白い紙だった。だが、レーダーを見るといい。数多の船がこの海域に沈んでいるが、この先には何もない。誰もが到達したことのない場所なのだ。そこに我々の旗を立て、未だ知りえぬ夢幻のエネルギーを手に凱旋しようではないか」

「……本当にあると思う?」

「あるさ。我々はそのために来たのだから」

ユージンクスプートニクスは少しだけ笑って、銃を下ろした。

「もし、何もなかったら、私たちは物語にならないものね」

「ここで打ちとめなのかもしれないわ。所詮ここは…」

「いったい君たちは何を言って……ん?無線だ。こちらシード号。…おかしいな……応答せよ、応答せよ」

「どこからなの?」

「・・・こんな星の真ん中なら、どこにだってつながっていく気がする・・・」

「でも、ここから始まったのよね、なにもかも。それを知らないまま終わるのは、なんだか物足りないわね」

「しっ!歌だ・・・歌が聞こえる」

不意にあたりの朽ちた宇宙船から音が流れてくる。

コーラスが入る。決して狭くない艦内に、歌が響き渡る。何回も響きあって、ひとつひとつが懐かしい音を心に響かせる。そしてそれは海の中に広がっていった。その中で混じってさらに音が重なっていく。彼らにはこの星の音が聞こえた気がして、それは、どこからともなく帰ってきた。

「おかえり・・・」

「・・・ここは私たちの来る場所ではないのかも知れないわ」

コンサートホールのような反響を呆然とみつめる艦長の横で、アニメルトマニアリスはポツリとつぶやいた。

「な、何を今更!?」

「私たちにはまだ・・・・・・やっていないことがあるわ。空飛ぶ時間の使者からは逃げてはいけなかったのかもしれない。彼は使者なのだから」

しばらくエンジン音さえも霧のように薄まった音の暗闇の中、沈黙があった。

それから、艦長は静かに頷いた。

「……我々は最初から、まるく収まる三角を探そうとしていたのかもしれないな」

「ねぇ、どうしたの?どうしてそうなるの!?」

そこは世界の中心に近いどこかで、無限に近い夢幻のエネルギーがあるだけで、他には誰ひとりいなかった。







「『そんな工夫の果てに物語の始まりを見つける』・・・これで満足かい?」

「なにが?」

「何を聞いていたんだい?クロネコロビタンゴが浅い眠りの中へとかえっていった理由さ」

「さっぱりだね」

二人しか乗れない島が削られていく。それをさも当然であるかのように二人は受け入れる。遠くからは轟音が聞こえる。天を裂き、海を割り進む何かがゆっくりと終わりを告げる。

「そのスイカ美味そうだよね。半分くれる?」

「え、まあ・・・いいよ。君がここから出て行くのなら」

「そうか……じゃあ餞別代りにもらっておくよ。じゃあ、お先に」

海が押し寄せ、島は飲み込まれる。

波はその強靭な牙で島をかじりとる。

誰かのため息が嵐のように吹き荒れる。

太陽の光が雲を貫いて差し込んでくる。

ゆらゆらと揺れる海の中で、命の味がした。









あとがき

人と人、物語が生まれる場所について。