おかのうえの怪人
おかのうえには怪人が住んでいる。
そんな根も葉もない噂は、ムーンウォークのような不思議な魅力を持って、僕らの中を駆け巡った。
丘の上には古びた洋館が立っている。青々と茂った蔦が、檻のように建物をしっかりと覆っていて、まるで、魔女との戦いに敗れた怪人が、閉じ込められているようだった。
律儀に七時ちょうどに開店するセブンイレブンで、アイスを買って、今日も今日とて鳴き出したセミの居場所を輝く視線の先に僕は探していた。しばらくすれば、遊び友達が集まってくる。セミの鳴き声も一層気合が入ってくる。それぞれが思い思いの武器や、探険道具を持ち寄った。はさみやカッターは、蔦を切るため。工事現場のヘッドライトは、洋館の中で活躍すること間違いない。親に内緒でこっそり持ってきた奴は英雄と讃えられた。
怪人といえばなんといっても江戸川乱歩の怪人二十面相。
―僕らは仕入れてきたそれぞれの怪人談を自慢げに話した。いくつもの秘密基地を持って、小林君率いる少年探偵団を何度も苦しめた。そんな怪人二十面相はいくつもの顔を持ち、もしかすると、担任の末永先生に変装しているかもしれない。僕らはさながら少年探偵団のような面持ちで、そんな話をする。
あるいは、アルセーヌ・ルパンのように真摯な盗賊かもしれない。それとも、ルパン三世のようにちょっぴりお茶目なドロボウが住んでいるのかもしれない。僕らはドキドキと心を躍らせた。
おかのうえには洋館のほかには何も建ってなくて、一軒だけぽつりと建っている。窓にはすべてカーテンが引かれ、そのカーテンの隙間から見え隠れする中の様子が一層僕らをわくわくさせた。建物を何週も回って、どこか入れる場所はないかと探した。
探している時、僕らは勇者であり、冒険家であり、探偵であり、やっぱり子どもだった。
そんな僕らの目はどこまでも輝いていて、レンガ造りの洋館の、ちょっとした隙間から、中の様子どころか、宇宙の果てまでも見渡せていたような気がした。僕らの目は輝いていて―
―ノートパソコンの電源が落ちると、僕の目の輝きも一緒に消えた。
疲れた目を揉んで、飲みかけたまますっかり覚めたコーヒーを飲んだ。最低限の明かりだけを残して消灯されたオフィスビルの事務所から、アルミサッシを少しだけ持ち上げて見た街は妙に遠いところに見えた。仕事もひと段落して、とりあえず溜まっている有給を取るようにと上司に勧められるままに明日から実家に帰ることになった。めったにない機会を与えてくれた上司には、少しだけ感謝している・・・と思う。
カップを軽く水洗いして、棚に戻す。昔会った遊び友達は受験戦争に巻き込まれ、ばらばらになってしまった。難民となったやつ、流浪の旅に出たやつ、戦いに勝利し、さらなる戦いに挑んでいった奴。とりあえずそれなりに大学に入ってそれなりに企業に務めている自分。今では、日本にいるかも分からない。
久しぶりに帰った実家は、ベットタウン化がさらに進んでいて、新興住宅が、濃い大きな影をそこかしこに落としていた。セブンイレブンは真夜中に帰り着いたときにも煌々と電気をつけていたし、抹茶味なんていう洒落たアイスを売っている。
おかのうえには、いつのまにやら大きな遊園地が建っていた。
これには、思わず昔、数日分の小遣いを溜めて買った三段積みのアイスの一番上の段を落としてしまったくらいの衝撃があった。
昔の子ども、今の子ども。遊園地はさぞかし楽しいだろう。
私は行ってみることにした。道路は複雑に曲がりながら、遊園地へも続いている。ひときわ大きな観覧車が、ずっと目印となっていた。その脇に古ぼけた―
私は走った。久しぶりに息を切らせて。入り口で、大人料金を払い。
ぬいぐるみのクマさんを押しのけるように真っ直ぐに走った。
目の前にはあの古ぼけた洋館があった。
「案外、小さかったんだな・・・」
そう言って、裏に回ろうとして、初めてそれがハリボテであることに気がついた。なんだか急におかしくなって、胸がいっぱいになって、熱いものが今にも噴出そうと出口を探していた。それを出すまいと顔を真っ赤にして、震えた。
「やっぱり、シンドウじゃないか?」
不意に声をかけられ、少しだけ我に返った顔で振り向いた。クマさんがいた。
「俺だよ。スズキだよ」
あの洋館な。あれはもう場所が取れないし、中は老朽化しちゃってて、入れるわけにもいかないし、取り壊すしかなかったんだよなぁ。物陰で興奮して話すスズキをよそ目に、
私は物思いにふけった。皆はどこにいるのだろうか?日本にいるのかも分からない。
誰か一人くらい、本当の怪人になってくれてはいないだろうか?
セミが、セミセミと鳴き始めそうな木漏れ日の下でひとりそう呟いた。
あとがき
思い出せば、夢があった気がする。