ユウシキシャカイ
不意に空間が切り取られる。一瞬遅れてその不可思議さに気がついた空気がその空間を埋めた。
ぼたり、誰かの左手が地面に落ちる音がするときにはザザは敵の懐に入り込んでいた。捨て身の突きが繰り出すは白銀に輝く両刃の刀身。敵の巨大な体躯がそれに不相応な動きでそれをかわした。あたりには黒い湯気のようなものが色濃く漂っていた。
不意に敵――魔王の周りにいくつもの炎の塊が浮かんだ。ザザの後ろでは仲間の魔導師が加速の呪文を詠唱している。ザザは自分以外に生き残りがいたことに少しだけ驚いて、すぐに炎に注意を戻した。
「人間風情が……魔を司ろうとはな。笑止!消し炭になるがよい!」
周りを包む気体は呪術的な手順を踏んで作られたものであった。気体には人間が失ってしまった魔素が欠片となって浮かんでいた。
「彼の者に「加速」を与えたまえ」
詠唱が終わり、決められた言葉に反応した煙で形作られた魔法陣から光が溢れた。
ザザはその光を纏うと同時に音とともに駆けた。次々に迫りくる炎を前かがみになってひとつかわし、左にステップ。その勢いで剣を構え、呟くように呪文を唱える。薄い光を纏った剣は炎の塊をぶった切る。振り下ろされた大剣は地を粗く削り、魔王に迫った。
「そんなものでっ!」
魔王が巨大な剣を振り下ろす。ガキン、振り上げた剣がぶつかり合い、大きく弾かれる。ザザは身体をひねる。反動をそのまま回転へつなげる。
「うおおおおっ!」
回転切り。
見事に魔王の胴を割っていた。
「まさか……な。だがこれで終わりではない……私がいなくなれば代わりが現れるだけだ。だがしかし!貴様もこの世から消し去ってくれる!ワタシが・・・私の力が弾劾されたこの世界に貴様が生きることはっ!貴様が……」
見事に胴を割っていた。しゃべれるはずはなかった。しかし、放たれた弱弱しい魔法の光がザザを包んでいた。
ザザもまた口から血を溢れさせていた。速度に身体が耐えられていなかった。
「これでお前もいなくなる!人間も終わりだ!」
魔王はそう言い残して死んだ。
気がついたのは石畳の上だった。身体が鉛のように重く、口から垂れた血が固まってがさついた。ザザはそれを手で削りながら周囲を見た。
「うっ・・・」
思わず口を押さえた。胃が空っぽですっぱいものだけこみ上げてきた。
魔王・・・だったのだろう骸はすでにほとんど骨だけになっていた。
剣の鞘を杖代わりにザザは立ち上がった。疑問はいくらでもあるが、今は頭がうまく働いていなかった。なぜ自分だけ取り残されたのだろう。なぜ、死体同然だった自分は襲われなかったのか。とりあえず、生き延びなければ。そのひとつだけに心をまとめて、ザザは螺旋階段をひたひたと下った。
外に出るとゲートが静かな作動音を立てていた。
「よかった…まだ動いていた」
ザザは心底ほっとした。ここは魔法でできた特別な空間だと聞いていた。ならば、ザザにとってそこは理解の及ばない世界だった。
ゲートをくぐればそこは城下町の見える岡の上。ザザの暮らした何十年かがそこにはあった。ザザの守った世界。魔物の軍勢に押し攻められ、石畳は赤黒く染まり、今も灰燼が舞ってはいたが、それでも以前までの薄暗い雰囲気はいくらか和らいでいた。
自宅に戻り、初めてそれに気がついた。
とりあえず王城へ向かおうと考え、クローゼットを開けたときのことかもしれない。いや、それ以前なのかもしれない。入ったときから心のどこかに引っかかっていた違和感が汗になって服の内側につめたい水溜りをつくった。
「誰ですか!?」
崩れ落ちそうな毅然とした声がした。ザザはクローゼットを開き、立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと歩を進めた。夕暮れ時の赤い光がザザの身体を次々と貫いていった。
「これからの俺にたそがれ時を生き続けよ、とでも言うのか。・・・・・・魔王」
ザザはそう呟いて、パムにそっと近づく。パムは白い服を着て、開け放たれたクローゼットに視線を彷徨わせている。
「またお邪魔する」
耳元でそう呟くと、パムが飛び上がったように、こちらを向いた。
「やっぱり! ザザ! ザザなのでしょう?ねえ、隠れてないで出てきてください。私だけは信じておりました。父がなんと言おうと、魔導師がなんと言おうと、私だけは・・・」
パムの足取りは不自然に軽く、視線はザザを貫いて、どこかを見ていた。召使いのピコンが慌てた様子で飛んできた。
「パム様! いけません。ザザ様は確かになくなられたのですよ」
「でもね、ピコン・・・確かに、確かに今あの人の声が聞こえたの。姿は見えなかったけれど、確かに・・・」
泣き崩れるパムを、ザザはただ見ていることしか出来なかった。
王、ヒスベルグは新しい朝を迎えていた。長く続いた魔王との戦争で、土地は荒廃し、民は傷ついた。が、しかし、これから始まる新しい世界に心を震わせていた。
優秀な兵士であるザザを失ってしまったことは少なからず痛手ではあったが、大事なことは、わが国の兵士が魔王を倒した、という事実だった。
勇者は・・・そうだな・・・
++
「勇者ヤルゼ殿、よくぞ魔王を倒してくれた。そなたに近衛兵団軍団長の地位を与えよう。それから、なんでも望みのものを与えよう」
「ありがとうございます」
ヤルゼと呼ばれた男は、長剣を佩いたすらりとした体躯をかがめた。少しだけ微笑んだ横顔に、黄色い声があがった。
「天はあの方を愛しているのだわ」
誰かがささやき、誰かが赤くなった頬を隠した。
その様子を王女パムは柱の影からそっと見ていた。
誰かがふと、柱のほうを振り返る。柱は静かな輝きを放つ石を切り崩して作られていて、その誰かをほっとさせた。柱の下には誰もいなかった。
凶報が届いたのは、その日の夜だった。宴は続き、空に緋色の月が出ていることに誰も気がつかない愚かな夜だった。
「お、おうさまぁあああー!!」
「どうした、そんな声を上げて」
「は、はい。その・・・パム様がどこにもいらっしゃいません!どうやら、何者かに攫われたのではないか・・・と」
ヒスベルグ王は一瞬だけ動揺した後、迅速に冷静を取り戻した。
「いかがなさいましたか、王」
そこに勇者ヤルゼが杯を揺らしてやってくる。
「おお・・・これは、勇者ヤルゼ。パム様が攫われたのです」
「王女様が!?それは大変だ。私が助けに行きましょうか?」
いや、と、王様は首を振った。それから捜索隊を明日、組織するようにと、言った。
勇者の活躍を讃える宴は朝まで続いた。
++
明け方になって、ようやく床についた王は、少しばかりの仮眠を取ってふと目を覚ました。
「王様・・・」
王の耳には、声が聞こえた。
「・・・誰かいるのか」
王は扉の向こうに呼びかける。
「こちらに・・・あなたの左手に控えております」
「その声・・・まさかザザであるか!?」
ザザはどんな顔をしていたか分からなかった。ただ、・・・はい。とだけ、一言、答えた。
「そうか・・・よく帰ってきた。して、姿を現せ」
「・・・魔王の戦いの最中で失いました」
「そなたは・・・生きているのか?」
「もちろんです!」
ザザは、涙をこらえて言った。
「・・・そなたには悪いことをしたと思っている。しかし、わが国にとって英雄という存在が必要だったんだ・・・わかってくれとは言わないが・・・」
「パム様は・・・どうされるおつもりですか」
「あの子にも本当に可哀想なことをしたと思っているよ。今朝方になって、こんな書簡が送られてきたよ」
渡された手紙には王女の身柄と引き換えに、魔王を倒した手柄が本当は陽動を引き受けたわが国にあることを公の場で発言すること。英雄の暗殺、城から持ち帰った財宝の譲渡などが盛り込まれていた。
「・・・・・・まさかとは思いますが」
「できるわけがないだろう!?私は一国を預かるものだ。この戦いで多くの命が失われたのは何のためだと思っている?」
「少なくとも・・・・・・」
ザザは、剣を抜いた。そして、何千回、何万回と繰り返した型どおりに構えた。
「少なくともあなたのためではありません」
振るった剣は、まくらを真っ二つに切り裂いた。真っ白な羽が舞う。
羽がひらりひらりと舞い飛んで、ザザの肩にも舞い降りた。その様子をヒスベルグ王は呆然と見ていた。
++
ひとりきり、朝起きたら置かれていた少し覚めた朝食を食べた。
パムがここに軟禁されてもうすぐ3日目になる。
「助けて・・・ほしいのかな」
よく分からない。贋物の英雄を立てたお父様のこと、ザザの声を聞いた自分のこと。
「誰か・・・」
呼べば、この城の召使の人が来てくれるだろう。パムは少し人恋しくなっていた。
はあ・・・
転がった毛糸を拾い上げて、編み物をする。これも欲しいと言ったらくれた。
もらったとき、どこまで行ってもお姫様なんだなぁ、と召使の人に少しだけ悲しそうな顔をしてしまったかもしれない。
ふいに、ノックの音が聞こえた。どうぞ、と声をかけると、
「そこに誰かいるのか!?ぐあっ・・・」
声がして、静かになった。もう一度、ノックの音が聞こえる。
「・・・どうぞ」
応えると、扉が静かに開いた。ザザだと分かった。
「待って!」
どこかに行ってしまう気がして、パムは必死に呼び止めた。
「・・・・・・そんなに大きな声を出したら、誰か来てしまうよ」
あの日と変わらない優しい声がした。
「いいの・・・あなたが来てくれたから」
「でも・・・俺は・・・姿を失って・・・そんなんじゃ、死んだも同然じゃないか!どうしたらいいか自分でもわからないんだよ。助けて欲しいんだ・・・」
パムは少し涙ぐみながらも、気丈に笑って見せた。
「一緒ね」
「・・・え?」
「私もどうすればいいのか分からない・・・あなたが来たってことは、お父様は私を見捨てたのでしょう?だったら、どこかへ行くわ。あなたを元に戻すために」
「でも・・・」
「いいの!・・・でも、もしあなたがいやだというのなら・・・」
「いやなわけない!・・・・・・私をお連れいただけますか?」
「・・・・・・はい」
++
砂の国に、足跡が並ぶ。
ずずっと、大地を沈ませる足跡は、しばらく経つと静かに消えていった。
あとがき
なんとなく、勇者について。