離れに勇者が住んでいる

作・なかまくら

2011.12.29

かって世界は魔王に牛耳られていた。



人間の魔度では、魔石を使って火を起こす程度が限界であり、魔王や彼の使い魔たちの強大な力の前では、風に揺れる葦のように心許なかった。しかし、人間は考える葦であった。

人々は魔王に貢物をすることで、一部の地域での生存を許可されていた。



ところがある時を境に、魔王の使い魔をぱったりと見なくなった。

魔王によって凶暴な魔物に変えられていた動物たちも、その効力が薄れ、次第に古文書にあるような、本来の姿に戻っていった。



さまざまな憶測が飛び交った。



魔王は、権力争いで同士討ちになったのではないか。

魔王は、病気で死んだのではないか。

魔王は、勇者によって倒されたのではないか。



答えを出すためには、彼らは、魔王の宮殿に向かわなければならなかった。水晶に閉じ込められた魔力によって、仕掛けが次々と作動し、侵入者を拒み続け、魔王は沈黙を続けていた。第3次調査部隊の調査隊が、初めて宮殿の奥へのルートを確保することに成功ずる。



玉座には既に白骨化した亡骸が座っており、魔石がちりばめられた絢爛な冠を戴いていた。

調査隊は白骨化したその姿になお、恐怖を覚えたが、その奥にソレを見つけるという偉業を果たした。







それから20年の歳月が流れた。





ある晴れた日のこと。

高層ビルが立ち並ぶスクランブル交差点の信号機が一斉に青になり、人々はそれぞれに歩き出した。電器屋の巨大な液晶スクリーンに目を向ける人は少ない。ニュースが流れる。『DNA、不一致? WHICH(どちらの)?』という見出し。

僕は、立ち止まってそれをじっと見ていた。







僕の家の離れには勇者が住んでいる。



僕の父は言った。

「俺もかつて勇者を志した人間だ。あんたがなんであれ、そんな姿は忍びない・・・。離れが空いている。しばらく住むといい」



勇者といっても見た目はただのおっさんで、お母さんは本物かどうかも疑っていた。僕は勇者の開いた剣術道場で剣を学んでいる。

勇者は言う。

「いいか、お前たち。本当に大切なのは、生き続けること。変わり続けることさ。自分の勇気はもしかしたら間違っているかもしれないんだ。間違った勇気は人を傷つけるだけかもしれないんだぞ」

勇者は実にはいからで、街を歩き回っては、流行の映画を観たり、科学の本を読んだりしていた。

勇者が現れたのは、そのほんの数週間前のことだった。



電器屋のスクリーンに映し出された男を誰ひとり知らなかった。そうして巧みに視線を集めた男が発した言葉は、全世界を駆け巡った。



「私は、魔王を倒した勇者だ」



あれから20年の歳月が経っていた。魔王が倒され、この世界は科学というものがあることを知った。魔王によって封印されていた力であること。かつて人々は空を自由に飛びまわり、時間も空間も飛び越える世界があったこと。人々はそれらをひとつずつ知っていった。実現していった。



勇者は年を取ったと笑った。体が思うように動かなくなり、日雇いでは生きていけなくなった。あっという間にできた社会保険の制度も働いている人を救うだけの制度であり、勇者のような自由業の遊び人を救う制度ではなかった。だから勇者は20年の歳月を経て名乗ることになる。その名を。

勇者は言う。

「いいか、お前たち。人はとりあえず、食べ物があって、住むところがあって、笑いあえる誰かがいなくちゃいけない」

勇者は離れに住んで、僕ら家族と一緒にご飯を食べていた。



僕の父さんと僕と勇者はよくご飯を食べに行った。父さんは酒を飲むと口癖のように言う。

「俺も若いころはよぉ、勇者になろうって鍛えてたんだぜ。今の世の中じゃ役に立たないがな」

剣も魔法も人を守る武器だけれども、科学のように一度にたくさんのものを速く移動させたり、ものを温めたり、冷やしたり。魔法では大変なことが科学では簡単にできてしまって、魔法は20年の間にすっかり脇役になってしまった。今じゃ、映画の効果として使われるくらいだ。人間に魔法は合わないのだ。





何度か疫病が流行って、魔法使いと呼ばれる魔力の高い人間が現れてきたころ、ニュースは流れる。



新聞記者やら、テレビ局やら放送車がバンバンとドアを閉じて、僕の家に詰めかける。父さんが追い返そうと門のところで頑張っている。ひっきりなしに声がする。でも、要約すれば、こういうことだ。「DNA鑑定の結果、現場に残された剣とあなたの血液は一致しませんでした! この結果からあなたは勇者ではない可能性が高まっておりますが、その件について、どう思われますか?」



僕が裏門へ回ると、ちょうど勇者は外に出るところだった。

僕は、言った。

「どこへ行くの?」

勇者は門に手をかけ、言った。

「さあて」

僕は、言った。

「偽物だったの?」

勇者は大きな荷物を肩にかけ、言った。

「・・・どう思う?」

僕は、言った。

「でも、あなたは勇者なんでしょう?」

勇者はゆっくりとした足取りで外に出ると、自転車のペダルに足をかけ、言った。

「さあね、昔のこと過ぎて忘れちまったよ」

僕が勇者をみたのは、それが最後だ。





それは、クローン技術で甦ってしまった魔王を倒すために僕が立ち上がる10年前のことだった。