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作・なかまくら

2012.12.6

びたーん、と痛い音がして私は後ろを振り返った。

ちょうど今日の放課後の部会までに運ぶように頼まれていた資料が風に舞って、それを追いかけるところだったから、事なきを得たけれどもし、

もし、そのまま歩いていたらそれは私の脳天に真っ赤な花を咲かせていただろう。

校舎の窓から一瞬で引っ込んだ影。

もぞもぞと執拗に地面の上を動き回るそれをスニーカーで踏みつける。無言で、無造作に、むなしく。おとなしくなったそれをしばし眺め、私はそれの人差し指だけを掴む。

それから黙って部室へ向かった。



部室につくなり、床に転がっていたスパイクの袋にそれを詰め込む作業に取り掛かる。それは五本の指を突っ張って、必死に抵抗を試みるが、大きく開けた袋の口に指がかかることはなく、すぅっと中に消えた。素早く口を閉める紐を引く。それから紐を袋のくびれにぐるぐると巻きつけた。

私の身体はわなわなと震えていた。怒り、と恐怖。誰かが私を狙っていたのだ。それもつい魔がさしたどころではないことは、この左手がここにあることが示していた。







「あのねぇ、上野さん」

先生はリストバンドを嵌めた左手でついていた頬杖をやめてこちらに向き直った。

「今日、左手がない人を調べてみたら、4人。該当者がいたんだけどね・・・」

「誰です?」私は冷静に努めてそう言う。

「まあ、たぶん上野さんが探してる子じゃあないと思うんだ」先生は困った顔でこちらを向いた。そもそも私のことを信じていない、といった顔だった。それはおかしい。先生と違って、私の左手は、まだ私に従っているのだから。

「その・・・上野さんを襲ったという左手だっけ? それは今、どこにあるのさ」そこにはどこか侮蔑の情動が混じっており、私の左手は痺れてくる。快感が電気の刺激になって腕を伝って、肩のところで打ち上げ花火みたいに炸裂する。私は冷静に、

「逃げられました。防御態勢をとってる間に近くの茂みに」私は冷静にそう答えた。



「生物は自分の首を絞めて自殺することができない」



同じような言葉に、「息を止めて窒息死することはできない」がある。簡単な話だ。仮にA君が首を絞めようとしても、気を失ってしまえば力は緩み、身体は回復期に入る。

そう思われていた。

ところが、17才にもなると、ほとんどの人間は左手を失っている。年齢差はあるものの、左手は思春期に差し掛かるころからそれは起こる。意に反することをしようとすると、夜の間に布団から抜け出て、ずるりと床に落ち、一晩中床を動き回る。疲れると身体に戻り、何事もなかったようにおとなしくする。初めは夜のうちだけだが、症状が進むとそれは昼夜を問わず起こる。

私はまだそれを見たことはないし、見るつもりもなかった。







「リスタは現実に顕現したバイオハザード現象か・・・!?」

リスタというのは、手首の後を隠すためにリストバンドをつけていたからだ。

最初にそれが起こったとき、相当に人々は気味悪がったらしい。市の図書館で新聞紙をめくると、その頃のことが、おどろおどろしく書いてあった。その後、某発展途上国において独善的に行われてしまったとされる非倫理的な実験が、“偶然”、世界中に知れ渡ることになる。その実験というのは、今から行われることを知らない被験者を部屋に集め、様々な行動を疑似体験させ、脳波を調べ、どのような波形が左手を分立させるのかを調べるというものだったらしい。

その発表によれば、

「人がその欲望を理性で抑えようとする時、その欲望が左手を動かすのだ」ということだった。



世論はあっという間に逆転した。

左手を失っているものは理性に従った人格者であり、左手が残っているものは自分の欲望を抑えられない人間とされた。

ひとつ、単純な善悪に流れることを押しとどめたのは、人の上に立つ人間のリスタが半々だったことだ。



これについては、議論が続いていた。

新種のウイルスによる症状である、というそれっぽい説から、人類の新しい進化の形態である、だなんてトンデモな説もある。





ただ、ひとつ言えることは私の左手は残っているし、それが変わるとは思えなかった。







がちゃり。

その部屋に入ると、無数の左手が吊るされている。



私は空いている紐を見つけると、新しく手に入った左手を丹念に括り付ける作業に取り掛かった。











〜あとがき〜

何故か、言うことを聞いている僕の手足について。