クロッテ

作・なかまくら

2014.11.24

これはある少年と少女の記録。



おばあちゃん、あのね。学校に行きたくないの。嫌いな子がいるの。勉強が嫌いなの。頑張りたくはないの。あのね、学校に行きたくないの。



おばあちゃんは、編み物をする手を止めると微笑んで、女の子の名を呼ぶ。それから昔話のような物語を始める。











「おばあちゃん、お腹すいた」



朝。朝御飯はさっき平らげたばかり。少女の名はクロッテ・テブクロッテ。

「どうして、お腹は減るのかな? 動いてなくても減るものね?」

おばあちゃんの名前は、

「そうじゃなくて。そういうのはいいの!」

クロッテは上級学校にも訓練学校にも行かず、家で寝てばかり。準備もしていない果報を寝て待つような女の子であった。赤みがかった茶色の髪はボサボサで手入れの一つもされず、無邪気なライオンのよう。

「クロッテ」

おばあちゃんが窘(たしな)めようとすると、クロッテはいつものように拗ねてみせた。

「私は、私のしたいようにするんだもん!」

ところが、今日のおばあちゃんは手強かった。

「クロッテ。それはね、生きたいように生きるということなのよ」

おばあちゃんの瞳の奥に刻まれてきた歴史の動線がウネりだし、クロッテはなぜだか無性に息苦しくなった。

「それはね、一番の頑張りやさんにしかできない生き方なのよ、ねぇ、クロッテ」

おばあちゃんは、途中からどこか遠くにいる誰かに言い聞かせるような口調になり、遠く霧の中にいる誰かに話しているようであった。

「知らないもん!」 クロッテには、いつにないおばあちゃんの様子に悪い予感がして、怖くなって布団に飛び込んだ。それから気がつくと眠ってしまっていた。



昼頃になって目を覚ますと、なにやら玄関の方が騒がしかった。

クロッテはもぞもぞと起き出すと、布団頭(ふとんつむり)のままに音のする方へ向かう。

扉の外に倒れている姿に見覚えがあった。がっしりとした体つき。長く伸ばした髪は後ろで束ねて。手にはボロボロになった黒い毛糸の手袋。お父さんの姿であった。



「お父さん!」



クロッテは布団を放り出して駆け寄った。顔は赤く、ひどく熱がありそうであった。手を伸ばし触れようとする。

「クロッテ!」

おばあちゃんがそれを制止した。

「おばあちゃん」そう呼んだクロッテの声は震えていた。

「クロッテ」おばあちゃんは、その孫の名を呼び、

「クロッテ」何かを決心したようにもう一度呼んだ。瞳の奥には動線がウネっていた。



おばあちゃんはクロッテを外に連れ出す。草地はそのほとんどがヤギに食べられて岩肌が見える。そんな丘の上からは、ふもとの町の様子が一望できたが、今はそれどころではない。

「いいかい、よく見てるんだよ」

おばあちゃんは、腰につないだ手袋をひとつ外すと、さっと手にはめた。それから、指を立てる。

クロッテの観ている前で、近くの大ぶりな岩に体を向け、ピッと指を倒す。

次の瞬間、スローモーションのようにクロッテの視界の中で手袋がおばあちゃんの手から放れていく。隠れていた手首が見えて、続いて親指の付け根、指先が手袋から離れる頃には、手袋は赤青黄の流星の尾をひいて岩を砕いていた。

「はぇ?」クロッテは、思わず素っ頓狂な声をあげていた。

「”メリコ”」おばあちゃんは、ほとんど燃え尽きてしまった手袋を拾って鞄にしまった。

「私たちはこれをそう呼んでいるわ」

「ちょ、ちょい、ちょい待ってね、おばあちゃん」クロッテは持て余している動揺が収まるようにスタンスを広めにとって、安定のポーズをとった。すぅー、はぁー。

「おばあちゃん!」

「はい、なんですか」

「一体なんなのよ!」「クロッテ」 おばあちゃんは言った。

「この”メリコ”という技がお父さんを救う鍵になるわ、きっとね」

「でも・・・」

クロッテは問うた。分からないことばかりだった。十と少しの時間を生きてきて、もう殆どのことは知ったつもりでいた。でも、違った。おばあちゃんは岩をも砕くスーパーウーマンだったし、お父さんは突然に謎の病気になった。そしておばあちゃんは答えた。手袋屋として生計を立ててきたテブクロッテ家のこと。そして、父の病についても。



「お父さんを救うにはその水晶の力が必要なの。・・・まずは、隣町のグローブルおじさんのところに行きなさい。私はお父さんのことを見ているからね」



そう言ってひと組の手袋を渡されたクロッテは、頷いた。

おばあちゃんが家の中に入って見えなくなって、クロッテは、腰のひもにくくりつけた手袋を右手だけはめてみる。それから、見様見真似で、手首を立て、ピッと倒す。

次の瞬間、流星が申し訳程度の尾を引き、飛んでいった手袋は見えなくなった。



「・・・私にもできたし」



クロッテはぼそっとつぶやいた。









クロッテは襲われていた。

全身の毛を逆立てた猫科の何か・・・いや、全身の毛糸を逆立てたヌイグルミ科の何か(以降彼女はこれをグルミーヌと呼ぶことにした)に襲われていた。指先についたマチバリが目の前を薙いでいく。

「あわわわわっ!」

だいぶ離れたところでグローブルおじさんが腕を組んで見守っている。

仰け反った上体の回転を活かして足を振り上げてグルミーヌの腹を蹴り上げる。スカートはいてくるんじゃなかった! 蹴り上げられたグルミーヌは音もなく空中に舞い上げられる。クロッテの動きに合わせて腰蓑のように手袋が揺れる。その手袋のひとつに右手を差し入れると、繋いでいる糸を引いた勢いでプツンと切った。



−−装填



身体を正面横向きに構え、空中でもがくグルミーヌに狙いを定める。

そして、立てていた右手首をピッと振る。



”メリコ!!”



流星の尾を引いて一直線に飛んだ手袋は、ヌイグルミの遥か下の方を通り過ぎていった。



「ぬぁああああ」クロッテは残念な呻き声を上げながらも、素早くふたつめの手袋を装填。

地面に着地する瞬間を狙って、二つ目を放った。胴体に突き立った手袋はグルミーヌを貫いて地面にピン留めすると、役目を終えてふにゃりと崩れた。



「ブラボー!! 上出来だ」グローブルおじさんが手をたたいていた。

「免許皆伝だ、クロッテ・テブクロッテ。明日から、水晶を探しに行くといい」

気がつけば日が暮れかけていた。遠くどこか同じ空の下で苦しむお父さんの姿を、クロッテは思った。



テブクロッテ家の人間は代々、心が絡まりやすかったらしい。それで始めたのが手袋屋。作業場で黙々と手袋を編んでいるのが性に合っていた。ところが、編まれた手袋には特別な力が備わった。心の糸が練り込まれ、何らかの強化を受けた手袋ができあがる。触れると暖かくなる手袋。電気を起こす手袋。ひときわ丈夫な手袋。器用になる手袋。力持ちになる手袋。それと同時に、クロッテ家では、心の糸毬化が始まった。手袋を編まなくては糸毬は次第に大きくなり、やがて絡まると心臓を中心に糸毬は末端までへ向かって絡みつき、首に巻き付いたときには死に至る。



暖炉の炎がチラチラと揺れていた。

「じゃあ、私はおばあちゃんみたいに手袋屋さんになる宿命なの?」クロッテは尋ねた。

「クロッテちゃん」グローブルおじさんは答える。それから、

「宿命というものは果たさないといけないものであって、君が思うような生きる意味だとか生きている価値を与えてくれるものじゃあないんだよ」

クロッテがよく分からないという顔をするのも構わず、グローブルおじさんはそう言った。











それからクロッテは色々なグルミーヌと出会っては戦った。



それらを思い返しても、このクマはひときわ強敵だった。

可愛い顔をして、その動かす腕は丸太のよう。こちらの反撃をものともしない圧倒的な力。

荒野を吹く風。砂の混じった埃が、手袋の繊維の隙間に入り込んで精度を下げるイヤな感じがする。

撃ち込まれるマチバリを横っ飛びにかわす。



クロッテは腰の手袋に手を伸ばす。自分で編んだちょっと形のいびつな手袋に手が触れ、舌打ちとともに装填、



”メリコ!”



飛びゆく流星はなぜか二つ。倒れたグルミーヌに突き立つ二つの影。振り返ると、仁王立ちする少年の姿があった。クロッテは慌てて振り返り、少年から距離を取る。それが彼、オード・S・ソックスとの出会いであった。









「その技は・・・」クロッテが驚きを押し殺しながら問うた。

問題なのは彼が敵であるのか、味方であるのかということだ。

彼の技は形は違えど紛れもなくグローブルおじさんの元で修得した”メリコ”であった。

「お前、その技どこで誰に教わったんだ!」

靴を履かない”くつ下スタイル”の彼のくつ下は土に汚れて黄土色であった。それが流星の尾をひいて容赦なく飛んでくる。

「あぶなっ! ていうか、・・・きたなっ!」

クロッテは奇跡的にそれをかわす。

「その身のこなし・・・やっぱりお前只者じゃないな」

新しいくつ下を履きながら少年はこちらを睨みつけてくる。よく見れば幼さが残る少年の顔は、クロッテと同じくらいの年齢に見えた。

「待って! 待ってってば!」

クロッテはそう言いながら手袋を”装填”する。

「私はクロッテ。クロッテ・テブクロッテ。テブクロッテ家の者よ。あなたは・・・っ?」

お互いに構え、用心深く間合いを計りながら言葉を交わす。

「俺はオード・S・ソックス。ソックス家の人間だい」

「・・・だい?」クロッテは思わずつぶやく。それからハッとして口に手を当てた。

「許すまじ・・・」オードは顔を真っ赤にして狙いを定めている。



クロッテはじりじりと後ずさりながら狙いを定める。



そのときだった。



「おやあ、誰かと思えばソックス君じゃあないですか」声がした。

クロッテが反射的にそちらを向くと−−黄色と赤で塗り分けられたダボダボつなぎの男−−その男に向かう流星の尾が見えた。



”メリコ!”



その一撃はクロッテに向けられたものではなかった。

「危ないじゃあないですか。しかも・・・きたない!」

オードの放ったくつ下はどこか遠くの空に消えていった。

「ニックニット!」オードが吠えた。続けざまにくつ下を”装填”し、”メリコ”を放つも続けざまにかわされる。

「そんな・・・」クロッテが思わずつぶやく。

明らかに“メリコ”の射程距離内だ。普通かわせるものじゃない。

ニックニットは深く被ったニット帽の影に白く光る目を覗かせると、にやにやと笑っている。

「ソックスくん、何度言ったら分かるんだい。君のその技はね、時代遅れなんだよ。」

「うるせえよ・・・」オードは肩で息をしながら、少し色の違うくつ下を履いた。

「そもそも飛道具ってのは、雑魚相手には有効だけど、大抵おいらみたいなボス相手には決定打にはならないってそういうもんだろう?」

ニックニットは愉快そうにそう言って、首に巻いていたマフラーを外すと、くるくると結び目を作り出す。そして造形が完了すると宙に放った。

「こい! マーフラワー」

ニックニットがそう叫ぶと、マフラーだったものは形を整えて、小さなライオンのような姿に変身して、音もなく地面に降り立った。

「今の時代はね、ただ無感情な心を織り込むだけじゃなくって、意味や意志を織り込んでやるのさ。すると、・・・こうなる」

ライオンはその牙を口腔に覗かせ、オードとクロッテを睨みつけていた。その毛糸のクセにやけに精巧な表情からは少しの余裕すら感じられ、確かにニックニットによく似たイヤな感じがした。

「うるるるぁああああっっしゃあああ!」歓喜に満ちた叫び声を上げて、マーフラワーがクロッテに飛びかかってくる。その爪が、クロッテのもう傷だらけの肌にさらに大きな傷を付けようとしたとき、横から蹴りが入る。蹴りはマーフラワーの腹部を的確に捉えて、一瞬遅れて”メリコ”が発動。マーフラワーを空に舞い上げた。

オードはそちらの足にも色の違うくつ下を”装填”する。

クロッテは、ハッと我に返り、マーフラワーの着地点を狙うべく、照準を合わせにかかる。



オードは同時にニックニットに攻撃を繰り出して、釘付けにする。

「おおっと、マーフラワー!」あまり心配しているようには聞こえないニックニットの声。



”メリコ!”



クロッテの放ったメリコは練習通りの完璧なタイミングでターゲットに迫った。ターゲットが空き缶や石ころならば、確実に直撃していただろう。しかしマーフラワーは、身体の一部を紐解いて落下傘を作り出すと空中で急ブレーキをかけ、片足を吹き飛ばされるだけで難を逃れる。



「あーれま」

ニックニットは、オードの繰り出す攻撃をひらりひらりとかわしてみせると、

「マーフラワー、帰るよ」オードの鼻頭に手の甲で裏拳をかますと、歩き出した。

不機嫌そうなニックニットに、マーフラワーはおっかなびっくりついて行く。そしてそっとニックニットの肩に載ると、マフラーの姿に戻った。



「まって。・・・あなたはいったいなんなの? その水晶なの? 」

「一度に質問が多すぎるんだよ。僕はニックニット。僕たちの世代で水晶を手にしたものさ、クロッテ・テブクロッテ」

そう言うと、ニックニットはこちらを振り返り、水晶を回して見せた。

「私たちの世代・・・?」クロッテがオウム返しに聞き返すと、

「そうさ。水晶は竜がもっているものさ、昔からね。その竜から奪い取ったのがこの僕、というわけ」

「それを貸してほしいの。私のお父さんが・・・」 クロッテの脳裏に苦しむお父さんの姿が思い出され、必然、少し潤んだ声になってしまう。

「それはね、みんな一緒なんだよ」 ニックニットは、笑うように、そう言った。

「僕のお母さんもそうなんだ」

そして、この水晶は、一度しか働かない。ニックニットはそう続けた。水晶は「竜の風」を封じ込めたもので、それを解き放つと心の絡まりを断ち切ることが出来るのだ。水晶が次に生まれるのは竜が死んで、新しい竜が大人になる頃のこと。だから、助かるのは一人だという。

「でもね、僕は誰を救う気もないんだ・・・だって、誰か一人だけ助かるなんて不公平でしょう?」 ニックニットの笑顔は、実に歪んで見えた。

「そうだ。みんな助かるなんて事はあり得ない。みんな幸せになるなんて無理なんだ。勝ち取るしかないんだ」 オードが同調したように、そう言う。



「何でそんなことを言うの!?」クロッテは叫び、しんとなった空間に言葉を紡ぎ出す。

「そう言う・・・宿命だから?」 クロッテの口からは思わずそんな言葉が出ていた。自身に宿る使命。一族の血が授けてくれた力。楽しく、と言うと違うかもしれないけれど、そんな生き方もあるのかも知れない。そんな風にも思い始めていた頃だった。「宿命は生きる意味を与えてはくれない」グローブルおじさんの言っていた言葉が時を隔ててようやくクロッテの心まで響いてきていた。



「そんな自由は、許されないんだ。これは、ずっと昔から、そう決められてきたことなんだ」 オードが苦々しげにそう言う。強がったって、きっと同じ事を考えていた。クロッテは、頬を伝う涙をそのままに、心が温かくなるのを感じた。

「私は宿命と戦いたい。自由を勝ち取りたい。・・・自由に生きることは、一番の頑張りやさんにしかできないのよ」 おばあちゃんの言葉だ。おばあちゃんの・・・そう、おばあちゃん・・? おばあちゃんの名前って、なんだっけ?



「俺は・・・」

「だったら、僕は」

ニックニットはこう続けた。「頑張りやさんだ」

「僕はねぇ、この水晶の玉の力を使って、世界中の人間の関係の糸を切って回ろうと思うんだ。僕たちのずっと遠い祖先は、心が絡まりなんてしなかった。心が絡まるようになった理由は簡単さ。人間は複雑になりすぎたんだよ。それを整理して簡単にしようってことさ。じゃあ、僕は行くから。またね」





クロッテは、腰に提げた手袋の数を数えていた。両手に装填。残りは3。

「協力するぜ」 オードが隣に並び立つ。

「ありがとう」 クロッテは素直に微笑んだ。オードがその顔を驚いたように見て、それから慌てたように正面に向き直った。耳が少し赤くなっていた。「いくぞ」



踏みしめようとする脚の表面の皮膚が裂けそうだった。クマに手ひどくやられたところだ。

大丈夫、大丈夫と言い聞かせて、一歩目を踏み出した。

マフラーが鞭のようにしなって襲い来る。それを急ブレーキで踏みとどまって、その勢いで上へ。右手は既に構えていた。そして、腕をピッと振る。力は入れすぎず、心を落ち着けて、それでいて秘められた強い心を意識して。手袋は徐々に脱げていき、手のひらが見え、手の指の先が見える頃には加速して、赤青黄3色の流星の尾を引きはじめる。



”メリコ!”













「それで? それからどうなったの?」



少女は、おばあちゃんに尋ねる。



「そのときは結局逃げられちゃったのよ」



それから、とおばあちゃんは続ける。



「オード君とは、いろんな場所で一緒に戦ったのよ。マシーン島の戦い、ボビン砦の奪還、それから、竜の山の決戦・・・」



「そうなんだ」



少女はそう言い、それから、こうつづけた。



「でもさ、それって、全部おばあちゃんの作り話なんだよね。だって、私の名前がクロッテで、おばあちゃんの名前は・・・・・・、あれ? えっと、おばあちゃんの名前は・・・」



それから急に少女はうとうととし始めて、眠ってしまう。

それを見届けてから、おばあちゃんはそっと答える。

「私もクロッテだったのよ。その名前は、あなたにあげてしまったの」

そう言って、一組の手袋をおばあちゃんは、孫の枕元においた。クロッテと刺繍のされた手袋を。



それは、冒険をするものの名。

それは、宿命と、自由を勝ち取るものの名。











**あとがき**

宿命もなく、生きていますが、

何か、やらないといけないことが与えられていて、それで生きていけるっていうのは、

どんな人生なんでしょうか。