誰かしらからの手紙

作・なかまくら

2015.2.11

「ポスト、手紙着てたよ。」 珠季がリビングに運んできた手紙は奇妙なものであった。

「なんだろう?」 差出人は、『去年の』西条三間。自分の名前だった。『去年の』、というところはよく分からないが。

「変ないたずらじゃないでしょうね。白い粉とか出てこないわよね。」

「いや・・・手紙だ。」

「え?」

それは、妙に厚みのある手紙であった。数枚ではない。だが、何枚でもない。

3つ折りになっているそれを開くと、一番上の行に目が行った。



『やあ、三間。君がこの手紙を読むかどうかは、君の自由や尊厳と深く関係がある。私はそれを尊重しようと思う。YESというならば、3行目から読んでもらいたい。』



「なんだろう。」「なんなの?」珠季が覗き込んでくる。

「なによ、何も書いていないじゃない。」「え?」

そこには何も書いていないという。たしかに、こんなにはっきりと書いてあるのに、3行目とかに確かに、文字が悲痛な叫びと共に滲み出したようなインクで書かれているというのに。

『ならば、行動は、迅速に行うべきである。まずは、玄関を出るんだ。すると、4行目だ。』

「ちょっと、出かけてくる。」「どこへいくの・・・あなたちょっと変よ?」

分からない。ただ、逃れようのないものを感じて、手紙を手に席を立った。入れたての珈琲が湯気を立ち昇らせている。それにチラリと目をやり、そして、踵を返す。靴を履いて、扉を開けながら、続きを探す。4行目だ。そう、4行目に間違いない。

『玄関のドアを開けると、そこにある穴に落ちて君は死ぬだろう。』

「危ない!」

止めようもなく傾いた体に珠季がしがみついていた。サァーッと血の気が引いていた。

『・・・もしも、君にとって大切な人がいなかったら、という場合の話だ。さあ、この続きを読んでいるということは、6行目に進んでほしい。』

珠季が泣いているのが見えた。ちょうど明日で1年になる。珠季と付き合い、そして結婚してから、ちょうど1年。お互いの良いところや悪いところが見え、それでもお互いを必要として生きてきた。

「いかないで・・・」 そう言う珠季にうなずいて、その手紙を下水工事の穴に落とそうとした。しかし、捨てきれない何かを感じてしまう。何か大切なものを失ってしまう、そんな気がしてたまらないのだ。

「ここにいてほしい。必ず帰ってくるから」 そう言って、家を出た。

『自宅を出たら、まずは歩道を右に進んでいってほしい。途中で出会う犬の頭は撫でておいた方がいい。撫でるなら、8行目だ。』

その犬は、確かにいたが、恐ろしいほど大きかった。顔は胸の辺り。目はやや赤眼がかっており首輪はつけていない。オオカミだと言ってもおかしくなかった。ぬらりと濡れた歯を口から覗かせ、たいして暑くもない秋晴れの朝に舌をだらりと垂らしていた。ほかの誰にも見えないのだろうか? 見回してみたが、周りには誰もいない。恐る恐る右手を伸ばすと、伸ばした手はさも当然のように噛みつかれる。激しい痛みが走る。右手の甲を形作る骨が牙とぶつかり合う感覚があった。

『きっと噛まれるだろう。それでも無理に右手を救おうとしてはいけない。』

大型犬は首を大きく左右に振り、喰らいついた肉を獲物から引きちぎろうとしていた。

『君がするべきことは、その犬を強く抱きしめてやることだ。』

清潔な主人が飼っている、毛並みの整った犬ではなかった。べっとりとした毛はきっと虱(しらみ)だらけだろう。そういう何もかもに見ないふりをして抱きしめてみた。

『君はその犬を受容して、愛を与えてあげなければならない。それがいつか君を救うことになるはずだ。』

気が付けば、犬は跡形もなく消えていた。ただ、それが幻でなかったのを主張するように、右手にはジンジンとした痛みと噛み跡が残っていた。

『今すぐ医者に行かなければならない。その傷には治療が必要だ。まっすぐ行った先、尾久丹田の交差点を左に曲がると、安原医院がある。』

その場所には確かに、医院があった。小さな建物であった。蔦紅葉が建物に這うように纏わりつき、真っ赤に葉を色づかせていた。

『席に着くと、隣にベージュのコートの男が座ってくるかもしれない。その場合は、29行目だ。』

一枚の便箋は20行からなっており、1枚目を後ろに重ね、2枚目の9行目を探す。

『男は間違いなく話しかけてくるだろう。』

「はぁ、すみませんが、君。」 その声は、なんとなく手紙の主の声として想像しているものに合致していた。

「はい・・・?」

「私の名前は、越前真実。君の名前は?」 越前は、待合室のソファーに随分と深く沈み込んでいた。その顔は疲労に満ちていたが、目は、真実を見通す静かな光を湛えていた。

『君は偽名を名乗るべきだ。そうだな、例えば“浦野真”などと名乗るといい。』

「・・・浦野真です。」

「そうか。浦野くんか。」 越前は、少しの間を取って、そう答えた。それから、また少しの間があり、

「私はね、ある人物を追っているんだ。」「ある人物ですか」「ああ、ある人物だ。ところが彼は姿を現さない。罪を犯し、その罪に苛まれているだろう彼を、私は救ってやりたいと思うんだ。それは、私の勝手な言い分に過ぎないのかもしれないが、彼もどこかそう思っているのではないかと、思うんだよ。あるとき、不意にその失敗を思い出して辛い気分になる。動悸が早くなる。息が切れる。汗に塗(まみ)れて、身体を丸めて。・・・じっと、それが通り過ぎるのを待っている。そういう事態から、彼を救ってやりたいんだ。彼が過ごす日々に罪を償うという意味を与えてやりたいんだ。・・・どうしたんだい、浦野くん?」

「いえ・・・」

そのとき、看護婦が、名前を呼ぶ。「西条さん。西条三間さん。」

「え?」 手紙に素早く目を走らせる。

『バレてしまった場合には、素早くそこを立ち去れ! 風の如く!』

「診察は次の機会でお願いします。」 言いながら、受付に用意されていたカルテから保険証を抜き取り走りだす。

自分でも信じられないほどの速さで走り、そして、これ以上ないほど呼吸が苦しくなって足を止めた。誰も、ついてきてはいなかった。あの男・・・越前も。

『振り切れたならば、この35行目を読んでいることだろう。茂芥子4丁目を過ぎたところに、もうひとつ、医院がある。そこに向かうなら、42行目に進むといい。』

42行目に進むために、2枚目をめくろうとしていた。すると、2枚目の最後の一文が一瞬脳裏に焼き付いた。『その医者の出す珈琲には睡眠薬が入って・・・』。そして、なぜだかその行はもう繰り返し読めなかった。初めからそうであった。何かが書いてあることは分かるのだが、それを文字として読もうという集中が上手くいかないのだ。その手紙を何故だか失うことを恐ろしく思ってここまで運んできたのであった。

『そして、診察を受けるとき、“犬に噛まれた右手”を差し出しなさい。それですべてのことを医者は理解してくれるだろう。』

そして、その通りにした。

『医者は、その右手を診て、大きくうなずき、奥の診察室へと招き入れるだろう。』

医者は、優しそうな顔をしていた。看護士も温かな笑顔で送ってくれた。どこか晴れやかな気持ちで入ったその部屋は中央に丸テーブルが置かれているだけの静かな部屋であった。

「どうぞ」医者が丸テーブルに置いたグラスには、黄色い液体が注がれていた。「緑茶です。」

手紙に目を走らせると、

『その医者の出す緑茶には睡眠薬が入っているはずだ。しかし、君はこれを飲む必要がある。信じる由縁もないこの手紙を読み、ここまでたどり着いた君は、なにか、進まない時計を見ているような、それでいて進んでいく時間を眺めることしかできないような、そんな時間を過ごしていたのだろう。その日々に別れを告げ、あの日に戻りたいと思っていた。だから、ここまで来た。だから、最後にひとつ、大きな賭け事をしてほしい。』

「私の役目はね・・・」 医者は静かに口を開いた。

「分身の研究さ。顔を合わせてはならないもの。元は一つだったもの。顔を合わせずに、二人の背中を合わせることができれば、元通りになるはずさ。」

『医者は何かを言うだろう。その言葉を信じるならば52行目、信じないならば53行目を読むといい。』

そして、グラスを傾ける。







「ただいま。」 玄関の扉を開け、声をかける。

「おかえりなさい。」 珠季はその場所で待っていた。

あのときからずっと待っていたのか、珠季は痺れた足でよろけて転んだ。











**あとがき**

出来事が先に決まっていたならば・・・・。
物語はそうやって書いているはずだったのに。