ポカリスの越冬
木々のざわめきとともに、山向こうから風が押し寄せてきた。ポカリスは、ブルリと肩を揺らした。揺らして、驚いた。生まれて初めての行動だったはずなのに、懐かしい行動だと思ったのだ。
「なんだろう・・・?」 ポカリスは、ぼそっと呟いた。遺伝子が覚えているような、そう太古のリズムが身体の内側からせりあがってくる。
「どうした?」 前を歩いていたダカーラが振り返った。
「ん? なんだろう、こう、身体が振動してさ、なんだか、温かいんだ」 ポカリスは自分の体を強く抱いて、振動を止めようとした。止まらなかった。
「C.C.に見てもらったほうがいいんじゃないか?」 ダカーラの指さす向こう、遠い場所に、白い建物が見えた。
「ああ」 ポカリスは、ガチガチと歯を鳴らしながら頷いた。
C.C.の住むその建物には赤い十字が描かれている。それは、身体を開いたとき、中心にある器官とされている。血液が身体の中心から両手、頭、身体の中心をとおって、下半身へと流れていく姿を現している。すなわち、その建物は人体を診る処であった。
*
静けさに包まれていた通りとはうって変わって屋内は、ざわついていた。大人たちが身体をグッとこらえるように抱きかかえ、黙っている。子どもたちは世界の終わりのように今起こっていることの感想文を述べたくっていた。いつだって子どもたちは最新の言葉を操る。この状況のことを、「寒い」と表現していた。
「あ、名前を書く前に体温を測ってくださいね」 受付のカウンターでお姉さんが手だけを伸ばして細い筒を渡してきた。熱い視線は、ハンサムな男性に送られている。
「あ、はい」 見れば、細い筒を口にくわえて座っている男女がちらほら見られた。
「男同士でやるのは冴えたやり方だとは思えんなぁ・・・いくらお前の為とは言ってもな」 そういうがいなや、ダカーラが、はむ、と反対側を加えてきた。
「!?・・・・・・!・・・・・!!」
「まみもみっえるかふろむ、むり、あるぞ(なにを言ってるかすごく、むり、あるぞ)」
しばらくして、温度差を利用して測っているんだと気づいた。筒の中に入った線が、ゆっくりとダカーラのほうへと動いていくのが見えた。おもむろに、「お前、寄り目だな」ダカーラが、筒を噛んで、ぼそっと指摘してきたが、無視した。
そのとき、ひとりの若者が飛び込んできた。その若者は、ゴゴティ。おとぎ話の短編小説に出てくるような裏話にあふれた銅像に住んでいる若者である。銅像なんてものは、この国にたったひとつしかなく、そして、そこに住んでいた老人の息子はたったひとりしかいなかった。
「フユーだ、フユーが来るんだ! じいちゃんは言っていた。フユーの訪れとともに、木々が枯れ、作物はできなくなる! 大変なことが起こるんだ! 変わるときには、ヒトに『震え』が出るんだ!」 ゴゴティは、一息にそこまでを叫んだ。
「震え」 ポカリスは、その言葉が妙に腑に落ちた。もともとそこにあったように、忘れていたポケットから、宝物を見つけたように。これはそう、『震え』ているんだ、ふるふると・・・いいや、ブルブルと! ポカリスは、興奮のあまり立ち上がった。
同時に、後ろの座席の男も立ち上がる。
「ゴゴティ! またお前か! お前はロクなことを言わないな!」 住人たちは言いたいことだけを叫び、それから、一方的無視に取り掛かった。
「でもさ、聞いてくれよ。聞いてくれよ、逆説的に言えば、ロクなことが起こらない時には、ロクなことを言わない俺のことを・・・じいちゃんのことを信じたっていいじゃないか! 大変なんだよ!」
*
「待ってくれ。少し話を聞かせてくれないかな」
通りを銅像の方へと歩いていくゴゴティに、ポカリスは声を掛けた。震えは収まり、訳の分からない興奮が身体を包んでいた。何もかもがわからない中で、彼だけが、確信をもっているように思えたからだった。
「どうせ、あんたもからかおうってクチなんだろう?」
「いや・・・」
「まあ、からかわれるだけ、まだマシか・・・いいよ。ついてきなよ」
土踏まずから降りた梯子に乗って、銅像の中に入ると、立札が立っていた。
「ホリデイ?」
「この銅像の名前さ。彼はかつて世界に平穏をもたらしたとされる人物なのさ」
「平穏・・・?」
平穏とは何だろうか。
「平穏なんて、俺には似合わない言葉かもしれないな。なんせ、俺は騒ぎを起こす男だと思われてるわけだ」
「いや・・・平穏というのは、変わらない毎日と言い換えられるものじゃない」
ポカリスは、思ったことをうまく言葉にできたつもりで言った。
「ふぅーん」
「荷物、持ってきたぜ!」 ダカーラが大きな声を上げて、梯子の周りにどかどかとカバンを積んだ。
「しかし、あれだな・・・踏みつぶされた気分だ」
「平穏に?」 ポカリスがそう言うと、
「・・・平穏?」 ダカーラは妙な顔をした。
「この銅像は、世界に平穏をもたらした人物なんだ」
「・・・それで、これからどうするんだ? いや、どうなるんだ?」
二人の視線を受けて、ゴゴティは背筋をピッと伸ばした。それから、親指の扉の向こうから、本を取り出してきた。
「おじいちゃんの本によれば、フユーが来る。空気の温度が下がるんだ」
「夜のように?」 ポカリスがそう聞くと、
「いいや、朝も、昼も。それから、夜は、もっとずっと寒くなるんだ」
本が乗り移ったように沈んだ声が、ゴゴティの口からしんしんと紡がれていく。
「もっと・・・これ以上に?」 ダカーラの声が震えていた。
「そういうことらしい」 ゴゴティの声に、白い湯気が混じっていた。
「・・・そして、雪が降る」
*
二人は、火を囲んでいた。ゴゴティは書庫にこもったまま、もう2日も出てこなかった。
「なぁ」 ポカリスは、意を決してもいないのに、そう言った。
「なんだよ。わかるがよ」 ダカーラは、もってきた干し肉を食べていた。
「わかるのかよ」 少し笑った。
「わかるね」 ダカーラが、自信たっぷりにそう答えた。
「気持ち悪いな、昔からそうだ」
「いい友を持ったって、そういってほしいね」
「頼りにしてるよ」 ポカリスはそこで一旦、息をついた。
「俺は、平凡な人間だ。平凡な人間だから、平穏の意味も考えてこなかった」
「平凡も平穏もありふれていて気付かないのさ。空気みたいなものだから」
「でも、平凡な俺が、平穏を守ることが出来るだろうか」
「どうして、自分だと思ったんだ」
「彼がさ、『震え』という言葉の蝋燭に火を灯してくれたおかげで、俺の『震え』は止まったんだ・・・。俺も、そうありたい、と思ったんだよ」
パチリ、と焼べた木の中の空洞が音を立てて、弾けた。
「平穏ってさ、変化のないことじゃない。変わることに備え、安心して暮らすことだと思うんだ」
「そのために、生きるんだな?」
火が、パチパチと音を立てて弾けた。
「フユーを越えたら、銅像が立つかな?」
ダカーラは、ハハンと笑って言った。
さあな、冬に聞いてくれ。
**あとがき**
冬に書きました。