厚木熱杉の失敗談

作・なかまくら

2016.1.2

『なにか、たったひとつ小さなことでいい。頂点をとらなければならない。』それが、父、厚木槍杉がいつも言っていた言葉であった。その言葉を滝のように浴び続けて生きてきた私も当然のことながら、世界の常識として受け入れていた。



冬の始まりは、その逆説的ゴングとなる。

大人たちがコートやスウェーターにだて巻きのごとく身をくるむ中、戦いは始まる。

「行ってきまーす!」 こぉーっと吐き出した息がすでに白い。

「スウェッタりして転ばないようにね!」お母さんの小学校の感想文に対するコメントみたいな定型句を聞き流し、扉をあけ放つ。現実からの洗礼がその身を包み込む。



寒い!



そう、宿敵、臼儀薄杉(うすぎ うすすぎ)との戦いに勝つためであった。奴は春、夏にこそ、その片鱗を見せなかったが、秋になると、独特のうろこスタイルの私服を新調して学校に現れ、それ以外のものは身に着けない厚さわずか0.1ミリメートルの極薄で勝負をかけてきたのだっ! 春から夏へと変わる中、セーターの上に、ダウンコート、マフラー、そしてニット帽をかぶって、ニッと笑うえくぼがトレードマークという事で名を馳せてきた私に対する圧倒的なまでの逆説的挑戦であったのだ。

「これを受けなければ、男がスターリン! 受けなければ、厚木槍杉のDNAに恥だぞ! 血の粛清を上げるのじゃぁあああ!」 と、私をちょっと危ない系のギャグでけしかけてきたのは、私と臼儀、二人の担任にして世界史の先生。お父さんとは同級生であり、昔はよく一緒にやんちゃしたらしい。そんなわけで、究極の薄着対決で決着をつけることになったのだ。







「やあ、おはようだぜ!」 外では、服部酉太郎がスタンバイしていた。今にもピッチに駆け出していきそうな感じで。リズミカルに、ボールの弾む音がしている。

「おはよう、今日もジレンマってるんだね!」 私は、皮肉などという言葉を当時は知らなかった。それは、熱杉ならではの失敗であった。そう、彼は、我が親友!

サッカー部のエースストライカーにして、オシャレ委員長を務めている。彼のトレードマークは、そのハット!



「先週の試合、感動ものだったよ! なにせ、ハットかぶったまま、トリック決めちゃうんだもんなぁ!」

イケメン服部酉太郎はやることが違った。

試合は、2対2の同点。残り時間は、あとわずかしかなかった。エースストライカー服部酉太郎への縦パスがカットされそこなって、点々と転がっていく。そこにいち早く追いつく服部酉太郎! さすが、服部酉太郎! いいぞいいぞ、服部酉太郎!

そのとき、ハットの隙間から覗く目が、きらりと光った。観客はハッとして息をのむ。ごくり。

そこからは彼の独壇場であった。八頭高校に代々伝わるはっとう的ドリブルで、次々とディフェンダーを抜いていく。

「ここは通すわけにはいかんのだ!」 敵の守備のかなめ、辛目鳥 奪(からめとり うばう)が、シンメトリーな動きで行く手をふさいでくる。

服部酉太郎の口元が、はっとりった! 次の瞬間、ボールは辛目鳥の頭上を越え、そのまま、へでぃn・・・

「いけなーーーーい!」 チアリーダーから、黄金の声がかかる。ハットが汚れてしまう。なんてこった、このシュートが決まれば、逆転サヨナラ満塁ホームラン的、シュートなのに! 誰もがそう思ったそのとき、服部酉太郎の口元は、さらにはっとりった!

そう、彼はその持ち前の鳩胸で見事ゴールにボールを運んだのだった!







「ところで、今日のその服の素材は何だい?」 服部はボールを自在にリフティングしながら訪ねてくる。

「ああ、これ? これは、鰹節を削ったものさ。驚きの薄さだろう?」

「そいつは、クレイジーだぜ、厚木くん」

服部は、シリアスな顔になった。

「聞いたことがないかい? 最近この界隈では野良がよく出るって」

「野良って、猫のことかい??」

そう言った私の背筋をひやりとしたものが通った。見られている・・・そう、何十という黄色い瞳。ごろんにゃあ、とべらんめえみたいな音韻で舌なめずりをしている。

絶体絶命だった。全裸での登校はすなわちBAD! 臼儀との戦いでの敗北を意味する!

「ハッハッハ、厚木くん、こんなことだろうと思っていたぜ!」

服部くんの顔がはっとりった! 彼は懐から、蹴鞠のようなものを取り出すと、お手玉の要領で、3つ4つ、ぽんぽんと跳ね上げ始めるのだった。

「すごいぞ、服部酉太郎くん!」

思わずフルネームで呼んでしまった! すると、彼の顔が完全にはっとりってしまった!

「はーっはっは!」

彼は笑いながら、蹴鞠のひとつを猫の一団に向かって蹴りだした。

蹴鞠は、そのあまりの回転力に耐えられず、回転しながら、飛び散った!

「まるで、クラスター爆弾じゃないかっ!!」

「中身は、しゃけのきりみだぜ!」 服部酉太郎は、右手をビシッと突き出すと、かっこよく決めた。左手はハットに添えるだけ・・・。

「ご褒美じゃないかっ!」 私が叫ぶ中、猫たちはべらんめえべらんめえといいながら、しゃけに群がっていくのだった。







ああ、私と臼儀との勝負の結果かい? 勝負は、辞退することにしたんだ。なぜって?

『なにか、たったひとつ小さなことでいい。頂点をとらなければならない。』

けれども、私は気づいたんだ。すでに私は頂点をとっていた。

服部酉太郎という、最高の友を持っている私は最初から頂点をひとつもっていたんだ。












**あとがき**

海苔と勢いで書きました。後悔はしていない。