天の尖り

作・なかまくら

2016.12.31

晴天の空を見上げていると、ふいに全身の毛がふわふわと落ち着きを失った。

立て続けに国内の広報用スピーカーがサイレンをけたたましく鳴らし、国民に危険を伝える。遠くの方で鳴った音がリフレインのように少し遅れて聞こえてくる。その時にはもう、避難のために走り出していた。岩盤を削り取って作られた階段を下へ、下へ。建物のまわりをぐるりと取り囲むように作られたらせん階段がどこまでも下へと続いていく。はるか上空でガラスにヒビが走るような不機嫌な音が偶発し、やがて収まる。

シェルターの入り口があと3階ほど下ったところに見えた。

( 間に合わない )

とっさに頭を抱え、しゃがんで態勢を低くした。次の瞬間、音に世界が包み込まれる。セロテープを思いっきり引き出したときのようなあの音だ。天から、光の束が降り注ぐ。閉じたままの目に光が容赦なく差し込んでくる。世界全体が眩しすぎるのだ。ああ、どこにも逃げ場はないのだ。あの埃に塗れた世界が横たわる死体たちが刹那、思い出され・・・。

光の束はかっこうの獲物を見つけたといわんばかりに1点に収束し、国の中央に聳え立つ尖塔にぶつかり、四方八方に拡散され、やがて消えた。

 



 

渡会コヨエは孤独を感じて育った。両親を早くに亡くし、兄と二人になった。兄はコヨエを励まし、よく働き、家族の暮らしを守った。その間、いつもコヨエは一人で家で待っていた。あるとき、一つの国が終焉を迎える。異常に硬い岩盤にぶつかり、どうしてもそれ以上掘り進めなかった。兄妹は新しい国をさがした。

イカれた宗教家が浄化の光と呼ぶ光線が降り注ぐようになったこの時代には、危険な仕事があった。限られた人数しか養えない国土で、他国の民を受け入れても構わない仕事だ。兄は迷わずその仕事に就いていた。

「兄さん」

戸口に現れた兄の姿を見てとり、ほっとして声をかけた。

「無事だったか」

よほど急いで帰ってきたのだろう、全身から汗が吹き出し、服を濡らしていた。

「ビスケットでも食べる?」コヨエは棚から缶を取り出す。「いや、口の中がパサパサなんだが・・・」

兄の感想に、コヨエは思わず笑い、兄も火のついた線香花火のように笑った。ずっと顔が強張ったままだったことにようやく気付いて、互いに頬をつまんで、ひっぱって、ぐにぐにとして、おなかを抱えて笑って、夜を過ごした。

 



 

コヨエが採掘場に行くと、日に焼けた男たちが手に手につるはしを持ち、岩を削っていた。そして、丁度採れたてのマッシュルーム鉱石をバンクセンターに運んでいく兄の姿が見えた。複雑に組まれた足場の入り口で、兄を追いかけるための道を探していると、近くにいた八川さんが、こちらを向いた。おずおずと会釈をしたコヨエに八川さんはにっこりと笑って見せた。

「おーい、サカ坊や!」八川さんが名前を投げると「おう」と応答があった。コヨエは兄に弁当の包みを振って見せた。

「お八さんて、私はちょっと苦手かも」

コヨエは包みを広げながらつぶやいた。

「そうかな、すごくいい人だと思う」兄がそう言うので、「うん、そう思うよ」

コヨエは、包み紙を開いて、サンドイッチをひとつ、兄に手渡した。

「俺は、あの人にいろいろと教えてもらった。あんなに屈託なく笑う人がいるなんて、まだ、世の中捨てたもんじゃない」

兄がそういうのを聞いて、「だからだよ」とは、コヨエには言えなかった。

 

ひとり家に帰ると、壁際にうずくまった。

自己嫌悪が最上階の明るい部屋に居心地悪そうに漂っていく。

辛い思いをしてきたのだ。どうしてそれを押し隠し、生きていけようか。

自分は憎いのだ。何とはわからないが、何かを憎まずにはいられない。

例えば兄と自分だけを残して、この国が滅びても別に構わない。

 

部屋が暗くなり、夕食を作るトントンという音と、柔らかな匂いが風に乗って流れてきていた。そこに、再びの警報音が鳴り響いた。丁度いい、と思えてきて、コヨエはそのまま動かなかった。あの恐ろしい光線は、天からの迎えなのだと思えた。小悪魔であった自分を脱ぎ捨て、天使の迎えを受け入れるのだと思えば、安堵すら覚えた。

 

どたどたと階段を駆け下りていく音が壁からずっと遠くのほうに聞こえ、

コヨエの口からは「ああ・・・」と嘆息が思わず漏れていた。

 



 

光線はいつもの通り、尖塔に拡散され、国の周囲の大地を円形に大きく削った。

それだけだった。それだけじゃなかった。

 

「・・・・・・コヨエは幼かったから覚えていなかったかもしれない」その夜、兄は唐突にそんなことを口にした。

「私、記憶力はいいほう」コヨエは、あの時の自分を忘れようと努めて返した。

「あの国が滅んだ年のことだ」兄は、ぽそりと口にした。

「真夏の雪、珍しいねってお母さんが」「それで、夜桜なんて風柳だなって親父が言って」

 

「俺は・・・あのとき言えなかったけど、なんだか生き物が生き急いでる感じがしてさ、終わりを知っていて、知らないのは俺たち人間だけで。終わりだよって言われているのに、あの手この手で、しがみつこうとしている。そんな感じがしたんだ」

「うん」

「親父が、マッシュルーム鉱石の色が変わってきたって」

「・・・言ってた」コヨエの中に、その時の情景が次々と浮かび上がってくる。家族4人で手をつないで歩いた日々。母の手の温もり。父の背中の大きさ。歩いた小道。そよいだ風。揺れる向日葵。笑った自分の顔。

「そうなんだよ、やっぱりそうなんだ」兄は、手に何かを持っていた。

「それって・・・」

「マッシュルーム鉱石の欠片。色が変わってるって」「綺麗・・・秋色っていうのかな」

「研究したけど分からないからって、くれたんだ」

「尖塔に使えないってこと?」コヨエはそれを誰かに聞かれることが恐ろしくて小声で聞いた。「そう、おそらくこの鉱石じゃあ、光を偏光できない。鉱石の内部がマッシュ構造じゃないんだ」

「このことバンクセンターには?」「まだ」

「ねぇ、逃げよう」コヨエの心の中に小悪魔が顔を覗かせる。まだ死なないのだ、あの手この手でしがみつくのだ。光に迎えられ、天に行くなんてまっぴらごめんだ。

そう思った。

思ったが、兄はそれに答えなかった。

 



 

尖塔の鉱石が昨日の光線で大きく削れていることが分かったのは、翌日のことだった。

兄は、尖塔の修理をかって出たという。コヨエは問わずにはいられなかった。

「どうして」

兄は、驚くほど穏やかに答えた。

「誰かがやらなくちゃいけないんだ。それが丁度、俺だったんだ」

コヨエにはそれがどこか遠くに聞こえていて、

「私は、またひとりぼっちになるのね」

そうつぶやいた。そうつぶやいて、心の中に何か熱いものがふつふつと沸き上がってたまらなくなる。

「いつ光線が来るかもわからない」

「わかってる」

「鉱石がいつまで採れるかもわからない」

「わかってる」

「それでも、それでも、兄さんが行くの?」

「そうさ」

「どうして」

「逃げて、なんになる」

兄は、優しくそう言った。

「ここまで逃げてきて、何が変わったんだ。ずっと考えていて、思ったんだ。このまま、怯えて過ごして、誰にも知られることもなく死んでいくんだ。ここですっくと立ち上がれば、何かが変わると思うんだ」

コヨエの口からは「ああ・・・」と嘆息が思わず漏れていた。小悪魔が自分のことを見ている。

「一緒に行くかい?」兄の問いに、コヨエの心は少し揺れた。ほんの少しだけ。

 

それから、小さく首を振って応じた。












**あとがき**

避雷針の下に逃げ込んで、それでも生きるんですよ。