「クワガタのトッピングあります」

 

2017.7.29

作・なかまくら

 

 最後のゾウが苦痛に呻(うめ)きを上げた頃、最初のクワガタが成虫になった。

サクリス研究所では、歓声が上がり、そして、一瞬にして悲鳴に変わった。戦車の砲弾も通さない強化プラスティックでできた壁をあめ玉のようにねじ曲げ、突き上げるアゴ。

空いた隙間からゾロゾロと這い出るクワガタたち。それは見事なニジイロで、人の欲望そのものだった。

 

 

「なに・・・まだ夜中」 布団ごとひっくり返されて、門部(かとべ)は重い瞼を上げた。

「コール、気付いてよ」 イリノイリは、ふっくらとした胸を強化態スーツに手早く押し込み、チャックを上まで上げる。それから腕部の装置のチェックをし、脚を下ろした。布団を足蹴にされたようだ。

「せっかく今日は訓練休みなのに・・・あの鬼軍曹が、さぁ・・・」と言いながら、次第に意識が覚醒し、イリノイリの強化態スーツをマジマジと見る。

「それを着ているってことは・・・」

「これは、訓練ではない・・・ということね」 一度言ってみたかった、そんな顔だった。

 

扉を開けるとそこはすでに、銃撃音と悲鳴に塗(まみ)れていた。

連続的にリズミカルに撃鉄が弾丸を撃ち出し、次々と打ち込まれていく。ニジイロの壁が衝撃に身体を小刻みに振動させならがらも通路を侵攻してくる。マシンガンの撃ち手が踏み潰されて残り、通路の折れ曲がるところで、ニジイロは壁にぶつかって動かなくなった。

 

スケールはおかしいが、明らかに・・・

「なによあれ、明らかにクワ・・・」 イリノイリの口がその名前の形に動いて、

ガタッと音がして、次の個体が通路に姿を現した。

「おいおい、マジかよ、何匹居るんだよ! 湧いてんじゃねえよ!」 門部は悪態をつきながら、スーツの腕部から、ブレードを引き出す。そのままの流れで跳躍、一歩の内に、二つのアゴの後ろに辿着地、頭部にブレードを突き立てた。

「まだよ!」 イリノイリが叫ぶが、そのときには、門部のブレードを持っていた右腕は切断されていた。瞬間、痛みはなかった。左腕を振り、遠心力でもう一降りのブレードを引き出す。それをニジイロの身体の中心にそって、後ろまで走らせて、そのまま転げて、落ちた。

「ああっ、くっそ! くっそ! アゴ割れ野郎がよぉ!」 スーツの切断面が、ぎゅっと絞(しぼ)まり、止血を開始していた。

 

ガタッ、通路の向こうから音がしていた。

 

感覚が追いついてきて、脳にちりちりと迫ってきていた。切断面が異常に熱く、局所麻酔が分泌されているはずが、効果をなさなかった。自分の呼吸音だけが、妙に大きく聞こえた。

 

「・・・ぇ、ねぇ!」 耳元へと声が飛んできて、ああ、朝かよ、いつもみたいに大きな声で叫びやがって、と一瞬、惑い、それから、現実が急速に戻ってくる。ようやくスーツから意識を覚醒させる薬剤が適切に投与されたようだ。

「あ、ああ」

「逃げるよ」

ふらふらと立ち上がり、イリノイリの後を追った。イリノイリは最速最適の動きで前方のニジイロを切り開き、進んでいく。門部は、黙ってついて行く。疲れ切った子どものように、母の後ろをついていくように――――。

 

――――生まれた頃の記憶は最早なかった。最初の記憶は、身体強化のために埋め込まれたチップをボリボリと掻いている自分だ。そのときには、まだ同族も多かった。スクールと呼ばれる場所で、文字を習い、計算を習った。それから、ひたすらの訓練。成長期を迎え、身体の造りが男女ではっきりと分かれてきた頃、ポロポロと同族が欠けだした。「不可逆的破壊」なるものが起こり、細胞組織が置き換わっていかないとかなんとか、よく分からないことを自分たちにはよく分からないに決まっているとばかりに、研究者達は話していた。目の前で。訓練の果てが、これだったとして――――――。

 

――――――自分たちはなんのために生きてきたのだろうか。

 

「ねぇ!」 俯いていた自分に声がかかり、前を見る。そこに初めて見る本当の外の明かりが目に映る。それから、イリノイリの表情が。

「幸せになってやるんだから!」 近頃は至って無表情だったイリノイリの横顔がキラキラとしていた。過去最高に輝いていた。一瞬見取れて、それから門部は失った右腕のあたりを一瞥し、・・・これから得る新世界に目を向けて応えた。

「おう!」

 

 

その日、数百体のクワガタが空を飛んだ。航空機との衝突がいくつも起こった。個体によっては、数百キロという距離を一晩で飛んだという。

 

 

研究者は、後にこう証言している。マンモスが滅び、そして、ゾウが滅んだ。ならば、人間が持つ滅びの力に耐えうる生物でなければならない。そう考えた。それは、強さ、頑丈さ、そして、繁殖力である、と。そして我々は成功したのだ。なあに、人を襲って食べるわけじゃない、台風みたいなものだ。

 

 

テレビのニュースによれば、農村地帯で、食料が食い尽くされたそうだ。未確認ではあるが、初めて人を食べる個体が確認されたとも報じられている。

 

 

イかれたテロリストが、自分の10年間実行してきた計画を懺悔した。発表ではない、それは懺悔であった。その内容はこうだ。空気中に散布してきた特殊なウイルスは、人間のDNAを組み替え、そして、次第にある変化を引き起こすという。それを言い終わった後、イかれたテロリストは、メタルな音楽と涙を流しながら、旨そうにクワガタのステーキをほおばる。そして、クワガタのアゴで自分の胸を貫いて死んだ。

 

 

某所にて。

「遅いから心配した」 イリノイリは、カウンターの向こうからおかえり、と言った。

「思いのほか、しぶとくて」 門部が、まずドアを開け、それから切り出したクワガタのアゴを自慢げに見せた。

「状態がいいのね。高く売れるかしら」 イリノイリが家計を守る顔をし始める。

「ちょっと、待った! その前に、お客さんだ」 ドアを軽く2回ノックする。

「ほら・・・」

促されて一歩、二歩と踏み出した男。その脚の後ろに隠れる、小さな女の子。男のボロボロの服はクワガタとの戦いの後のようだった。

「あ、あのっ!」 男が、意を決したように言う。

「こちらの料理、クワガタのトッピングはありますか?」 後ろで女の子のおなかがキュウと鳴っていた。

 

 

人類は、クワガタにしか味を感じなくなっていた。

 

 

 

 

〜〜あとがき〜〜

うわああああ、なんということだ。なんということだ。読んでくださった皆様と、クワガタに感謝を。