小さな指輪

作・なかまくら

2018.1.1

兎年になれば、と期待を膨らませていた。



「まっとうに働けば良いじゃない」 素数ちゃんはそういった。

「いいんだよ。俺が動くんじゃない、相場が動くんだ」 金魚のアブクの数を数えながら、俺は餌を振り撒いた。

「なんだかなぁ」 と、素数ちゃん。



通貨の名は“月光“といった。月の土地管理をいち早く始め、その土地を担保にできた仮想通貨だった。月がきれいな夜は価格が高騰するという噂。



「なにさ」 俺。

「いや、うん、いいと思うよ」 なんだかよそよそしい。

「気になるよ」

「そう?」

「うん」

「じゃあ、いうけどさ」

「うん」

「私さ、バイトなんだ」

「知ってる」

「うん。コンビニのバイト。品だししてさ、ポップとかこしらえてさ、そうすると、ちょっとよく売れたりするわけ」

「へぇ」

「そうすると、やって良かったなぁって思ったりしてさ」

素数ちゃんはちょっと思い出して嬉しそうな顔をする。それは俺にはあんまり興味のない話で、でも、普段はしない話で、相槌を打ってみる。

「そういうのが、大事なんじゃないかなぁって。買ったものを大切にするってことじゃないかなって」

「でも、夢があっていいじゃないか。夢もなく老いていくのは堪らないんだ」

「うん」 素数ちゃんのうんは、うんではなかったけれど。そのときの俺は気にならなかったんだ。







俺は毎日“月光“を眺めていた。コンピュータの上をグラフが乱高下する。十五夜に、満月に、俺は期待を寄せた。月の神様を祀る月光神社にも行った。すべては順調に行っていた。通貨の価値はグングンと上がった。月面探査が決まったときと月に次世代燃料のための資源が見つかったときの高揚は忘れられない。思わずクワガタ踊りをしながら、月光神社へと駆け登ったんだ。



ちょうど、夏祭りの灯が点いていた。

赤い提灯が屋台の軒先に連なっていて、楽しげな声が聞こえて来る。

「食べる?」 目の前にお団子が差し出されていた。

「素数ちゃん」 返事の代わりに口をついた。

「・・・まだそう呼ぶんだね」 そういう声はビックリするほど悲しそうだった。

「え、あ、いや・・・」

「お団子、どうぞ。あなたの好きなこしあんの」

「う、うん」

「トッピングのチップが美味しいんだ」

「いただきます」 俺は、団子をひとつ、頬張る。もちっとした大きめの団子の素朴な味がする。

「私ね、素数ちゃんって言われるの、イヤだったんだ」

「・・・」 もごもごしているしかなかった。

「素数って誰とも共通因数を持たないの、わかる?」 共通因数とは、二つの数で共通して割りきれる数のことだ。

「誰とも共通の話題が作れなくて、ずっと一人だった。数学は得意でさ。それを揶揄されて“素数ちゃん“って。私だって、みんなとお話して、楽しく過ごしたかったのにね」

「ご、ごめん。全然知らなくて」



「畑中くんは、なんか、違うとこを見てて、一緒にいてもいいって感じで。最初はそれだけで良かったんだ。ありがとうね」 よく見れば、素数ちゃんはクローバーの散りばめられた浴衣を来ていた。幸運の象徴だから、その花言葉を俺は知っていた。“幸運“。でも、彼女はそうではないだろう、彼女にとっては、きっと“think of me(わたしを思って)“。

そのときようやく思ったんだ。あぁ、何も見ていなかったなぁって。

「何も見ていなかったなぁって」

「え?」

「何も見てなかったなぁって、俺はさ。宇宙ばかり見ていた。月ばかり見ていた。月がきれいだなとか、そんな、誰とも交わらない、そんなことばかりでありまして」

「ありますか」

「ありましたねぇ」





夜は更けて、月はやがて隠れる。

いっときの熱狂は冷めて、太陽に照らされていた月の虚ろな、本当の姿に人々が気づいた頃、



俺はようやく買った小さな指輪に名前を刻んで彼女に贈った。









〜〜あとがき〜〜

大事なものに気付かないのは、いつものことですね。なんでかなぁ。