比飛人(ひとびと)

作・なかまくら

2017.8.23


準人(じゅんと)・・・飛べない人間・兄
隼人(はやと)・・・・飛べる人間・弟
空子・・・・・・・・準人の彼氏・幼馴染
アサクラ・・・・・・飛行機械研究の先輩
母・・・・・・・・兄弟の母。
学校の先生・・・・隼人の学校の先生

________________________________________
寝転んでいる準人。
空子が近づいてくる。

準人 あきらめることが出来るとしたら、そこに確固たる意思がないからだ。
空子 失敗だったんだ。怪我は?
準人 ないね。
空子 どれくらいの高さから落ちたの?
準人 背丈の5倍くらい?
空子 それは随分クレイジー。
準人 無傷だね。
空子 そう、よかったね。心の方は?
準人 ・・・へっちゃらです。

空子 ふぅ~~ん。
準人 なんだよ。・・・なんですか。
空子 今日、弟さんは?
準人 夜まで帰ってこない。
空子 じゃあ、午後はもう一回やるんだ。
準人 午後はイメージトレーニング。一緒に飛ぶ?
空子 ・・・いや、いいや。こう見えて、私、現実主義なので。
準人 わかった。空には一人で行くよ。
空子 私は宿題やるよ。準人、やってないよね。機械設計、レポート明日までだよ。
準人 大丈夫。もうやってある。
空子 う、裏切り者め!
準人 普通にやってあるだけだろ。
空子 ほんと、いつやってるのか・・・。そういう才能あるんだからさ、フツーに工場でいいじゃん。飛行研究とか、そんなオカルトなさぁ、ほうに行かなくても。
準人 ・・・。
空子 ・・・まあ、いいけどね。それでも。

空子 じゃあね、夕方までには帰ってくるんだよ。
準人 うん。

空子、はける。
準人、目を閉じて、手を広げる。

準人 風がぐるぐると捲いている。風を捕まえろと、鳥たちが鳴いている。ああ、ここだという合図が耳の奥にこだまして、俺は浮かび上がる。

黒子が身体を持ち上げる。

準人 風が身体の周りに巻き付いて離れない。手は翼に変わって、俺は眼下に広がる世界を見下ろす。おーい、空子ぉ! 呼びかけてやると、あいつは驚いた顔を向けるのだ。
空子 準人! あなた、遂に飛べたのね! おめでとう!
準人 ありがとう。まあ、当然の結果だけど!
空子 それで、あなたはどこへ向かうの?
準人 俺は、方向を転換する。翼を捻ると少し遊びがあって、それから、びゅうびゅうと風の渦が翼にあたって、うなりをあげる。そして、ぐーんと伸びあがるように方向が変わるのだ。・・・どこへ? その時、行きたい場所へ。どこへでも。確固たる意思が行く先を決めている。それから、だから・・・あれ!?

暗転。
地面に落ちている。準人は目を覚ます。
じたばたともがく。誰もいない。

準人 あああああぁーーー!! ううぅーーー!!!

誰もいない。静か。

準人 はぁ。帰ろ。帰りまーす。

準人、はける。空子、こそりと出てきて、準人が寝ていた場所にしゃがむ。

空子 ・・・もう、やめればいいのにね。どこへ向かうの? ・・・どこへ向かうの?

暗転。



隼人、手を広げる。風を感じている。

隼人 ・・・風だ。

隼人、フワフワと浮かび上がる。

隼人 小さい頃、僕は隠していたことがあった。

小学生の集団。隼人だけ、浮いている。

子1 隼人、お前、サッカーもっと上手くなれよ。
子2 だよな~。なんでだろうな、お前、足はむっちゃ速いのに、足捌き下手すぎっしょ。
隼人 ごめんごめん。次は決めるから。
子1 頼むぜ! 人数ギリだからさぁ、いないと困るわけ。
子2 じゃあな~。

ふたりがはけて。

隼人 ・・・小さい頃、僕は隠していたことがあった。目を閉じて、背中の肩甲骨の辺りをを触る癖があった。この膨らみが、いつか大きく広がって、翼となってしまうんじゃないか。他の人と違う生物なんだということ・・・僕は隠していた。

準人 隼人。
隼人 兄ちゃん。
準人 帰ろう。
隼人 兄ちゃん。
準人 何? どうかした?
隼人 ありがとう。
準人 え? なんだよ。これはあげないぞ。

準人の背中には、工作された翼が背負われる形で装着されている。

隼人 うん。

準人、ジャンプをして見せて、

準人 どうだ、今一瞬飛んだろ?
隼人 うん、間違いない。兄ちゃんは飛べるよ。本当にそう思う。

風が吹く。

隼人 あっ・・・、というまに一匹の鷹が横切った。僕の目の前で雄々しい鷹は、グングンと加速し、子猫を捕らえる。舞い上がっていく、バサリバサリと、力強く翼を動かして。

真似をして、ぐーーんと、地面近くまで下降して、それから体を丸めて、足をついて立ち上がる。

隼人 いいなぁ。
準人 いいなぁ。



帰り道、準人は隼人に出会う。

準人 隼人。
隼人 兄ちゃん。
準人 ・・・・・・。
隼人 まいったよ。
準人 え?
隼人 バイト。今日お客さんいないからもう帰っていいって。
準人 言われて、帰ってきたのか。
隼人 うん。
準人 経営、大丈夫なのか?
隼人 お得意様がいるから。多少はね。
準人 お得意さまって・・・。
隼人 案外いるもんだよ。明日どうしても晴れにしてほしいって、電話。
準人 だって、あれだろ?
隼人 あれ?
準人 “てるてる”って。
隼人 ああ、うん。てるてるって。
準人 で、次の日は晴れるって?
隼人 晴れてるって。
準人 どれくらいの頻度で。
隼人 降水確率が10%下がる確率は67%。
準人 微妙だな。
隼人 気持ちが大切なんだよね。
準人 第一、全然科学的じゃない。科学的根拠を示してほしいね。
隼人 でた、科学的根拠。
準人 当たり前だ。信じられるものがあるというのは、すごく気分がいい。自分の身体の中心に、すっと一本通しておくだけで、安心感が全然違うぞ。これがないと、首の座ってない赤ん坊みたいなもんだ。首がぐらんぐらんなんだ。
隼人 相変わらず、兄ちゃんは科学を楽しそうに語るよね。
準人 まあな。
隼人 兄ちゃんは、結局飛行研究所に進むの?
準人 ・・・そうかな。
隼人 飛行機械、あとどれくらいで出来るかな。
準人 どうかな。
隼人 出来たらさ、最初に乗せてよ。
準人 もう飛べるのに?
隼人 ・・・うん、でも、乗ってみたいかな。
準人 なんでだよ。
隼人 うーーん、・・・自分のやりたいことが見つかるような気がするんだ。
準人 空を自由に飛ぶこと・・・は、そうか、俺の夢か。お前、もう飛んでるな。
隼人 うん。
準人 分かった。そのときは、乗せてやるよ。
隼人 うん。

間。

準人 隼人、
隼人 なに?
準人 やっぱちょっと、買い物して帰るわ。
隼人 一緒に帰ろうよ。
準人 いや・・・うん。
隼人 そう?
準人 うん。
隼人 そっか。
準人 夕飯までには帰るから、って、母さんに伝えておいて。
隼人 うん。・・・じゃあ、先に行ってるよ。

隼人、はける。
準人、立ち止まる。

準人 なんとなくわかる。同じDNAを継いでいて、あいつは飛べて、俺は飛べない。その理由が。わかるんだ。わかるんだけど・・・。わかるからこそ。

空子のバイト先。

空子 いらっしゃいませー、なんだ、準人か。
準人 なんだとは酷いな、一応お客さん。
空子 貧乏学生のくせに。
準人 ・・・金にな、こうぱたぱたぱたーって、羽が生えて飛んでいくのだよ。
空子 あんたは飛べないのにね。
準人 ぐっ・・・切り裂きジャックと呼ばれてしまえ。
空子 それで?
準人 え?
空子 私に用があるのか、品物に用があるのか? それとも、用もないのに来ては見たのか。
準人 お前、ハヤブサが風を切るように鋭いときがあるよな。
空子 まあね。ジャックとしてだらしないその根性を切り裂いてやる。ほら、話してみ。

間。

準人 まあ、その、さ。・・・いたたまれない気分になって。
空子 準人の洋服は畳まれないまま放ってあるのに。
準人 独り相撲だね。
空子 世界に敵はいないんだ。なのに、ドリルで墓穴を掘った。
準人 焦ってるらしい、飛べない自分に。
空子 汗をかけ! 空飛ぶために汗をかけ!
準人 昔は身軽で、風が吹いただけで飛べそうで、飛んでいる弟にだって追い付けそうだったのに。

空子 ふうん、弟に会ったんだ。
準人 今ので話聞いてたんだ。

空子 あんたは・・・あんたの空に辿り着こうとしている。弟のじゃない、想像じゃない、あんたの空が近づいてきてるんでしょう?
準人 そうなんだけど、近づこうとして、むしろより遠ざかっていくようで。
空子 消極的で、内向的で、センチな時の準人は嫌いだよ。
準人 えーーー・・・。話せっていったのに。
空子 積極的で、前向きで、いまにも飛び立ちそうな、そんな時の準人を好きになったんだ。
準人 それって愛の告白?
空子 そうだよ。
準人 自己肯定感すげえな。
空子 でも、いまの準人は好きじゃないな。
準人 その時々じゃなくて、すべての時間を承認してほしいなぁ・・・。
空子 贅沢贅沢。
準人 そうかなぁ・・・、贅沢でいいじゃんか。
空子 なにか食べる?
準人 鳥の唐揚げ。
空子 鳥をいくら食べても、翼は生えてこないのになぁ。

準人 小さい頃さ、物質移動の原則っていうの習ったろ? 鳥は「空」の要素をたくさん持っている。だから、「空」の要素をたくさん体内に取り込めば、身体が軽くなるはずだよね。
空子 なんか、もっともらしいウソって感じ。だって、鳥は魚を食べるけど、魚のようには泳がないよ。
準人 それは泳ごうとしないからさ。俺は飛ぶね。
空子 まあ、いいけどね。
準人 ・・・空想の中では自由に空を飛べるのになぁ・・・。鳥はいいなぁ。人間が2本足で立つように、自然に空を飛ぶんだ。
空子 今でも、自分の力で飛びたいと思っているんだ。
準人 隼人は、自由に空に上がるから。俺にだって同じ血が流れているのに。
空子 でも、決めたんでしょ。知識の翼で飛ぶんだって。
準人 そうさ。科学が俺の縮こまった羽を伸ばして、翼にするんだ。
空子 うん。
準人 ありがとう。おかげで少し元気になった。
空子 うん。



家。リビングに準人と隼人。
準人は、なにやら工作をしていて、隼人は外を双眼鏡で眺めている。

隼人 あ、枝が折れた。すごい風だよ。
準人 うん。
隼人 明日、学校休みになるかなぁ。
準人 うん。
隼人 ・・・そうだよね。
準人 うん。
隼人 僕らはこうやって家の中にいるけど、
準人 うん。
隼人 動物たちは、どうやってこういう一日をやり過ごすんだろう。
準人 うん。
隼人 うん。

準人 ・・・そうだな。動物たちは夢を見ると思うか。
隼人 夢? 美味しいものがいっぱいだ! いただきまーす、みたいな夢? それとも、こういうことが出来るようになったらいいなっていう、夢?
準人 こういうことが・・・という夢だよ。
隼人 そう? 見るんじゃないかな。やっぱり。そんな目をしている気がする。
準人 いつのことだよ?
隼人 あ、うん。いま、学校に鷹がいるんだ。
準人 鷹!?
隼人 うん。怪我してて、上手く飛べないんだけどさ、ご飯を持って行くと、そういう目をしている気がする。
準人 動物がそんな理性的とは思わない。特に、鳥はさ、軽量化のために頭小さいから。
隼人 うん、そんなに頭は良くないかもしれない。だけど、自分で生きてきた力を持つ目だよ。
準人 惚れたのか。
隼人 正直、ちょっとね。
準人 ふうん・・・。まあ、仲間だと思ってるのかもな。
隼人 ・・・え?
準人 まあ、本物にはなれないけどな。お前は空を飛べるが、それでもお前は人間だから。
準人 ・・・。

間。

隼人 ねえ、何作ってるの? 新作?
準人 ん? ああ。

そう言って、見せる模型は、手で回すレバーが付いており、それを回すと、上の方にある翼が上下に動いた。

隼人 へぇえ・・・。よく出来てるね。
準人 まあな。
隼人 でも・・・
準人 なんだ?
隼人 ・・・これだと飛ばなくないかな。
準人 どうしてそう思う?
隼人 だって・・・確かに、下に動くときはいいけど、上に行くときは逆に下に進むというか・・・邪魔になる。
準人 おお!
隼人 兄ちゃん?
準人 お前、賢いな。いきなりそこに気付くとは。そうだ、その通りだよ。これは、前回の失敗作。ここから改良をしないといけない。つまり、翼が開閉式になれば良いんだ。上に行くときは翼が縦に開いて風を通して、下に行くときは翼が横になって閉じる仕組みにすれば良い。
隼人 それならいけるかも!
準人 だろう? ただ、その仕組みをどうすればいいのか・・・難しくてな。
隼人 うーーん。
準人 お前、俺の助手にならないか? 自分で思っているよりずっと才能があると思う。
隼人 僕が?
準人 やっぱり空を飛べるやつっていうのは、考えることが違うな。人とは違う感覚ってやつがあるというかなんというか。
隼人 そ、そんなことないよ。
準人 いーーや、あるね。何かあるんだ。ただ、俺はこうも思う。お前は、よく分からないけど、小さい頃から飛べるよな。
隼人 ・・・うん。
準人 とべ! って、念じれば飛べるんだよな。
隼人 うん。
準人 いいか、よく分からないけど飛べるやつは、きっとよく分からないけど飛べなくなる。
隼人 そういうものかな。
準人 そういうものだよ。だから、な、ちゃんと考えた方が良いぞ、どういう風な理屈があれば、空が飛べるのかを。
隼人 ・・・うん。(といいながら、双眼鏡を手に取る)

間。

隼人 だけどさ、兄ちゃん。鷹はさ、
準人 え?
隼人 鷹はさ、他の動物を狩る生き物だよ。だけどさ、飛べなくなったとき、他の動物があいつを人間から守ろうとしていたんだ。力の衰えたものは食べられる。そんな世界でさ。空を飛べるってことはさ、その役目を果たさないといけないってことなんじゃないかなぁ。
準人 いいんだよ、そんなの飛べもしないのに考えたって仕方がないし、ただ、俺は空を飛んでみたいだけなんだよ。
隼人 それでも、僕は! 僕は・・・それを考えなくちゃいけないんじゃないかなぁ。僕はやっぱり、飛べるから・・・。
準人 勝手に考えればいいだろ、そんなこと。



隼人 お母さん。
母 お待たせ。喧嘩、したんだって?
隼人 うん。
母 どうしてしたの?
隼人 うん。
母 いつもと一緒?
隼人 うん。
母 譲れないもののために、戦ったの?
隼人 うん。
母 この際だから聞くよ。隼人はどう思ってる?
隼人 先生は、「大人になりなさいって」いうけど、なんだよって思う。
母 うんうん。
隼人 もし、先生がいう「大人」が周りと上手に笑いあうってことなら・・・たぶん、周りと上手にやるのは僕には無理じゃないかなって。
母 そうね、隼人にはきっとそれが合ってる。
隼人 え、合ってる?
母 そう、みんなと仲良く笑いあうような・・・そんな風じゃない生き方が、隼人にはきっと合ってる。
隼人 お母さんは、ずっとそれが分かっていたの?
母 私があなたの年の頃には分からなかったわ。だから、あなたが本当にそれが分かるようになるのが、まだ先だってことも分かってる。
隼人 うん。
母 それでも、今は示された道を歩きなさい。あなたには、あなたにしかない特別な幸いがある。みんなと同じじゃなくていいのよ。
隼人 初めて言われた、そんなこと。
母 初めて言ったもの。
隼人 お母さんが、大人に見えた。
母 そう? じゃあ、もうひとつだけ。不用意なことをぐっとこらえて言わないことよ。人の世界ではね。
隼人 それは、難しいよ。
母 そうかもね。じゃあ、そうだとして、どうやって生きていくか、考えなくちゃね。
隼人 ・・・うん。
母 はい、じゃあ、先生の所に行こうね。
隼人 お母さん。
母 うん?
隼人 ありがとう。
母 隼人・・・?

二人の間に一迅の風が吹く。



先生 隼人君のお母さん。
母 先生、隼人は学園ではどんな生徒でしたか?
先生 正直に申しますと、あまりクラスには馴染めていなかったといいますか・・・。
母 そうですよね。では、あの子はずっと苦しんでいたと。先生はそのとき何を・・・
先生 いえ、お母さん! 隼人君はとても楽しそうでしたよ。・・・あるときを境に、最近は生き生きとしていたんです。
母 ある時?
先生 ええ。ある台風の過ぎ去った朝、傷ついた鷹が一匹、園庭に横たわっていたんですよ。
母 鷹というのは、あの、空を飛ぶ鷹ですか。
先生 ええ。不思議なことに、普段は人前に姿を現すことのない狐だったり、狸だったりといった動物までがその空間には居ました。最初は鷹を襲うためかとも思ったのですが、どうも、様子が違いました。むしろ逆でした。
母 逆?
先生 ええ、どうも守っているようだった。動物たちの王、といいますか・・・。
母 動物たちの・・・。
先生 ええ。そのときです、隼人君がさっと鷹に向かって歩いて行ったんです。不思議と動物たちは何もしなかった。そのまま隼人君が鷹を抱き上げて、「先生、手当をしてもいいですか」と言ったんです。
母 優しい子でしたから。
先生 人の臭いがつくと野性に返れないと聞きますから、校舎から少し離れた場所に、柵を作りましてね、そこで療養させたのです。隼人君はその面倒を熱心にみてくれました。恥ずかしい話ですが、あんなに楽しそうな隼人君の顔は校舎では見たことがありませんでした。
母 そうですか・・・。あの、
先生 ええ、なんでしょう。
母 それは、いつ頃の出来事だったんでしょうか。
先生 ええと、丁度そうですね。隼人君が友達と喧嘩をして、お母さんに来てもらった頃のことだったと思います。鷹にちょっかいを出そうとしたクラスメイトを気絶するまで殴りつけてしまった、あの事件ですよ。
母 そう・・・だったんですね。そういうことだったんですね。
先生 それから、隼人君はなにやら真剣に考え込んでいることが多くなったように思いますね。今となっては、それが何を考えていたのか、しっかりと理解していてあげていれば良かったと思うと・・・申し訳ないです。
母 きっとあの子のことは、誰にも分からなかったと思います。いえ、あの子だけじゃない。きっと、他人のことが本当に分かるってことはないんですよ、先生。私はそう思うんです。だって、私の血を分けた子のことだって、・・・今どこにいるのか、元気でやっているのかすら、分からないんですから。
先生 あの台風の日、隼人君はきっと学園まで来て、鷹を逃がしたんだと思います。それから・・・
母 ああ、虫の知らせってあるんだと思っていました。でも、私は虫じゃないし。虫とも言葉は通じないし、ああ、何を言っているのか・・・。ごめんなさい。
先生 少し落ち着いて、お水を・・・。
母 ありがとうございます。
先生 心中・・・いえ、なんと言ったらいいのか・・・。
母 でも、もし、生きているなら、これで良かったのかもしれません。
先生 へ?
母 あの子は、やっと自由になれたんだと思います。ずっと地面に縛り付けられていたあの子が。
先生 ・・・。


空子 それから2年が経ち、私たちは別々の場所で頑張っていました。準人は、先生の反対を振り切り、推薦を破り捨て、飛行研究所の研究員に。私は、難関の試験を突破し、法律審議院の新人として採用されていました。


準人が入ってくる。

準人 おはようございまーす。
アサクラ 遅いっ! 新人がっ! 何時だと思っているんだ!
準人 朝の7時ですが。
アサクラ スズメは5時にはチュンチュン言ってただろうが!
準人 スズメは早起きですねぇ・・・。
アサクラ スズメの気持ちにならなければ、空は飛べまいて。
準人 今月はスズメですか。先月はツバメで、先々月はカモメでしたよね。
アサクラ スズメ流を学ぶこともまた、空へ続く道なのだよ。
準人 でも、スズメの羽じゃあ、人間を空に浮かび上がらせるにはなぁ・・・。
アサクラ スズメを馬鹿にするものは、スズメに泣くだろう・・・。
準人 スズメの涙ってとこですね。
アサクラ どういう意味だ。
準人 ごくわずかなもののたとえです。
アサクラ はっ! 今月の飛行クラブでもほら! 今月のオスズメ!
準人 く、苦しい・・・。ネタ切れ感が・・・。
アサクラ スズメはな、空中でパタパタと羽ばたきながら、縦方向に移動する能力が高い。我々の理想の姿じゃないのか?
準人 スズメ、おそろしい子・・・!
アサクラ ちなみに、「め」で終わる鳥の名前が多いのは、「め」が昔、鳥を表す語であったからさ。
準人 へぇ~~。
アサクラ ともかく! いいかね、ともに空を夢見た同士、準人くんよ。問題は大きさではない・・・その形状がいかに飛行に適しているか、これだよ。この形こそが、至高・・・ふっふっふ。
準人 分かりますよ、アサクラさんのその研究の重要性。でもね、俺が思うに、離陸と飛行。まず、飛び立つことだって、出来ていないんですよ。
アサクラ そんなことはない・・・。私はね、グライダーというものを次の発表会で披露しようと考えているんだよ。
準人 グ、グライダーとは・・・? 飛べるんですか?
アサクラ 準人くん、ムササビは知っているね。彼らは、木から木へと飛び移る。すなわち、滑空だ。
準人 滑空。
アサクラ 滑空飛行で、いかに高度を落とさずに飛べるか。これを足掛かりにしてみようと、私はひらめいたのだよ。つまり、飛行は任せたまえ、というわけだ。
準人 滑空ですか・・・。
アサクラ なんだ、滑空じゃ不満か。
準人 俺は、今いる場所よりも、高い場所に向かって進んでいく・・・、そういう飛び方がしたいんです。
アサクラ まあ、人それぞれだ。
準人 あ、でも、グライダー、出来たら乗せてくださいね。
アサクラ よかろうよかろう。

空子、入ってくる。

空子 おつかれさまでーす。
準人 おはよう。
アサクラ あれ、空子ちゃん、おはよう。
空子 アサクラさん、おはようございます。
アサクラ 珍しいね、朝からこっちのほうに来るなんて。
空子 実は、うちの法律の先生が、昨日負けて落ち込んでいまして・・・。
アサクラ そういうわけ。あっ、じゃあ、私はお邪魔ってこと?
準人 あ、気にしないでください。
空子 そうそう、こいつ、空バカなんで。
準人 誉め言葉として受け取っておこうか。

アサクラ 空バカって言うのは、空子ちゃんに夢中ってことで?
空子 わ、私の言うことなら何でも聞くことになっているので。
アサクラ ほうほう
準人 ちょ、何を言っているのか理解に苦しむぞ。
空子 本能に従え! 本能を従えろ!
アサクラ おおっと。
準人 あ、気にしないでください。照れ隠しです。
空子 なんだとぉ!
アサクラ はは・・・。君ら、お似合いだね。
空子 お、これはなんですか?
アサクラ これかい? これはグライダーという。
空子 グライダー?
アサクラ 空子ちゃんはムササビという動物を見たことがある?
空子 ムササビ(ムササビのポーズ)
アサクラ そうそう、そのムササビ。
準人 今のムササビ・・・?
空子 しゃぁーー!!

空子、木から木へと移るように、アサクラの近くから、準人の近くへと移動する。

アサクラ そうそう、丁度そんな風に、木から木へと飛び移る。これを滑空という。
空子 かっくいいい!
アサクラ そう! 滑空はいいだろう! 羽ばたかなくても、飛んでいられる方法なんだ。トンボなんかもそうだろう? 巧みに風をつかんで、ほとんど羽ばたくことがない。そういう風に生きられたらなんて素晴らしいんだろう。
空子 あー・・・そういう話になるんですね。

といいながら、横目に準人を見る。

準人 な、なんだよ。
空子 いや、空を飛びたい人って、どうしてみんなそうなのかなって。
アサクラ え、どういうこと?
空子 いえ、なんというか、アサクラさんも、準人もきっと前世はもっと大きな翼を広げていたんでしょうね。だから、今居る場所が、窮屈で仕方がない。そんな風に見えますよ。
アサクラ 空子ちゃんは、今居る場所が窮屈ではないの?
空子 私ですか・・・。

空子 私は、法律を学んで、それを生きる術にして・・・いってみれば、今居る場所をもっと住みやすくしている、という感じですかね。それで十分なんですよね。両手をいっぱいに広げて、そこに収まるところだけ。それで十分、いっぱい。
準人 空子はそれでいいと思う。それが多分あってるよ。
空子 そうかな、そうだといいな。じゃあ、私そろそろ戻るよ。先生そろそろ復活の時間だから。
準人 あ、じゃあちょっとそこまで送るよ。

ふたりはけて。

アサクラ ・・・最近の若者は、大人になるのが早すぎるなぁ。


空子 それから、2人は学会に行き、そして、それをきっかけに、人類と空の歯車は歴史上初めて噛み合い始めるのです。


アサクラ はっはっは・・・はーーーっはっは! なんということだ! なんということ、だ!
準人 ちょっとそろそろ近所迷惑ですよ。
アサクラ 何を言う! ちょ、なにをする!?
準人 とりあえず、これでも飲んで、落ち着いてください!
アサクラ う、うわっ! すっぱ! これ、すっぱ!
準人 落ち着きましたか?
アサクラ すっぱ!
準人 どうですか?
アサクラ うん、ちょっと疲れがとれたような・・・。
準人 落ち着きましたね?
アサクラ 落ち着きました。どうやら、私は疲れすぎてハイになっていただけのようだったよ・・・
準人 そうですか、それに気づけて良かったで・・・
アサクラ じゃなーーーい! 準人くんよ。
準人 はい、もう一口。
アサクラ 今回の発表会は、ひと味違った。すっぱ! そう思うだろう。
準人 そうですね。
アサクラ なあ、人は空を飛ぶぞ。それも、遠くない未来に。
準人 今回の発表会で思ったんですが、
アサクラ なんだ、言ってみろ。
準人 何故なんでしょうね。起こるときは突然に、同時に起こるんだなあって。
アサクラ その通り。哲学的空想は無数にされてきた。やれ、平行世界だ。やれ、別の宇宙との衝突だ。生物の大量発生と大量絶滅の歴史を君も知っているだろう。
準人 はい。
アサクラ 地球が可能性を試した、という説が一番好みではあるが、これは違うだろうね。
準人 地球は生き物ではない。
アサクラ その通り。もっと自然はもっと合理的さ。ただ、そこに必要があったのだと思う。
準人 必要・・・。何かに対応する必要。
アサクラ そう、その予兆が今日までのどこかにあったのだ。それが、人々の内面へと拡がって、無数に、無秩序に拡がりつつある。この中から、花の咲く品種を探すことが出来たものが、最初に空を飛ぶ栄誉を得られるだろうね。
準人 ちょっと、順に見てみましょうか。

軽妙な音楽。

準人 鳥になりたいコンテスト、実況の準人と
アサクラ 解説のアサクラです。
準人 アサクラさん、声造り過ぎっすよ。
アサクラ え、そうかなぁ。

準人 では、早速エントリーナンバー1番。羽ばたき型。解説のアサクラさん、どうですか?
アサクラ えー、これはですね・・・準人君が何度も落ちたモデルですね。では早速アシスタントの空子ちゃんに、実演してもらいましょう~。
空子 え、これ? 落ちるっしょ? え、無理無理。ていうか、準人これで、2ヶ月松葉杖だったし!



準人 エントリーナンバー2番。羽ばたき型(改)。これは、こうきましたか、アサクラさん。
アサクラ えーー、ペダルを足で漕ぐ動力を利用して、翼を動かそうという試みですね。でも、まあ、重すぎますね。
空子 あ、これ、運んで終わり? これ、結構造るの大変だったと思うよ? これの出番、これだけ? 舞台美術さん、泣いちゃうよ?



準人 エントリーナンバー3番。紙飛行おもちゃ。これは画期的でしたね。
アサクラ だって、これ、飛びますもんね。私の考案したグライダー型に近い・・・。
準人 だって、これ、滑空してますよね。これをそのまま大きくすれば、人だって乗れるんじゃあ・・・
アサクラ この形状の翼だと大きくするのは難しいだろうね。それに、この装置から得るべきことはそこではない。
準人 えっ・・・
アサクラ このモデルのポイントは、おもりの位置によって、飛び方が全く変わると言うことだよ。
空子 えいっ・・・!

3人の投げた飛行機は三機三様の飛び方をする。



準人 えーっと、次は、竹とんぼ型。えーっと・・・これ、いいんですか? 国民的あれですよ?
アサクラ ミュージック、スタートォ!!
空子 あんなこっといいな♪ できたらいいな♪ できるかぁああ!!
準人 解説さん。
アサクラ スキップが可愛いかったので、すべてを許します・・・!
準人 えー、これはどうしたらいいんだ?



空子 なんか、どれも結局は飛べなさそう。
準人 重すぎるからね。
空子 え・・・なんですって? 誰が、重すぎるって?
準人 そ、相対的に! 飛翔体に対して相対的に重すぎるってこと!
空子 ふふーーん。ははーーん。
準人 えぇーー・・・
アサクラ 準人君、ちょっと・・・実は空子ちゃんは、夏に向けて絶賛ダイエット中なんだよ・・・
準人 え、なんでまた・・・。
アサクラ それはもちろん、君に見せるためさ・・・!
空子 あ、アサクラさんそれ秘密っていったのに!
準人 空子さん。
空子 えっと、はい。
準人 ありがとう。
空子 なはは・・・。

アサクラ さておき、いいかね、空子ちゃん。
空子 え、あ、はい。
アサクラ 大きなものも、小さなものも動く原理は一緒なんだよ。
空子 原理。
アサクラ どうしてそうなるかということさ。例えば、最近の理論によれば、軽いものも、重いものも同時に落ちる。これは、落ちるということに変わりはないからさ。なんなら、夜になるとぽっかりと姿を現すあの衛星だって、同じ速さで落ちているんだよ。紙飛行機械は飛んだ。竹トンボは飛んだ。なぜ人が飛ばないと思うのか。
空子 ・・・はあ。ちょっとよく分からないですけど、そのまま大きくすればいいってことですか?
アサクラ それが、そうはきっとならないだろうね。問題は、強度と空気抵抗だ。空気は、抵抗になるんだよなぁ・・・。そんなことは分かっているんだ、準人くん。
準人 え、あ、はい。
アサクラ ふっふっふ。私がね、この発表会で得たのは、何だと思う?
準人 さあ。
アサクラ 生物学者との出会いさ。
準人 といいますと?
アサクラ 私が出会った生物学者はこう言っていた。

空子、髭と眼鏡で生物学者に。

学者 すべての生物は、必要の元にその形を獲得している。モモンガが何故空を飛ぶようになったと思うね?
アサクラ それは・・・、地面には天敵がたくさんいるからでしょうね。
学者 その通り。そして、飛行距離はできるだけ長い方がいい。
アサクラ もちろん。
学者 きっと、モモンガの祖先は・・・最初は指の間の皮くらいの、これくらいの翼しか持っていなかっただろう。それをより効率よく、進化させてきたのだろう。何百年も、何千年もかけてな。
アサクラ 途方もない時間ですね。
学者 だからこそ、50年と生きられない我々は学ばなければならない。その進化の試行錯誤を。我々は生きていると同時に、知恵という何か目に見えない財産を進化させ続けているんだろうな。昔、老学者に言われたことだが、最近、歳を取ってすっかりそう感じるようになった。

アサクラ それを聞いて、もはや私はぴーーんと来てしまったね。ただ、本当に大切なアイディアは、議論のテーブルの上に広げたりはしないものさ。私は口を噤んだね。ツグミのように。
準人 それで、そのアイディアというのは?
アサクラ つまり、鳥を目指せばいいんだよ。できるだけ、太っちょの鳥だ。太っちょだけど、ちゃんと飛んでいる鳥だよ。
準人 太っちょの・・・
空子 気を遣わなくてよろしい。
アサクラ さて、探すぞ! 協力してくれるね?
準人 ・・・はい。



母 あれ、帰ったの?
準人 ただいま。
母 珍しい・・・お父さんはまだ仕事だよ。夕食までいるの?
準人 すぐ出て行くから。
母 ここはあなたの家だから・・・ゆっくり、
準人 いや、ごめん。本当にちょっと忘れ物を取りに来ただけなんだ。
母 そう・・・。
準人 うん。
母 仕事どう?
準人 楽しいよ・・・。
母 もう、自由にやって良いのよ。
準人 え?
母 気に病む必要なんてないの。隼人は、どこかで生きてるわ。
準人 ・・・うん、そうだといいね。
母 何を探しに来たの?
準人 うん、昔さ、鳥のスケッチをしててさ・・・。
母 ああ、夢中になってやってたわね。
準人 どこかにあると思うんだけど・・・。
母 ねえ、準人。
準人 うん?
母 あなた、いつまでも空子ちゃん待たせてないで結婚して身を落ち着けたら?
準人 ええ・・・なに急に・・・・
母 一途なところがあなたの良いところだけどさ、人の幸せっていろいろあるのよ。ふと、今見えてないものが、とても大切なものだって気付いたりもする・・・だから・・・
準人 でも、どうしても空は飛ぶんだよ!
母 そうね。・・・じゃあ、ひとつだけ教えて。
準人 ・・・。
母 それは火のように燃える想いなの? それとも、ジメジメと湿った想いなの? ・・・あなたはそれで、自由になれるの?
準人 なれるよ・・・。そう信じてる。だからさ、母さんも信じてよ。息子は2人とも、立派に空を飛べるんだ。



空子 冬が過ぎて、春が来る頃、飛行機は完成していました。世間はあっと驚き、という間に、夏がやってきました。

空子 はい、新聞。
準人 うん。
空子 初めて連続100kmの飛行に成功、だって。
準人 アサクラさんは時の人になったね。
空子 あんたもじゃん。
準人 まあ。
空子 あれからあっという間だったね。
準人 何が?
空子 アサクラさんが、鳥を探せっていってさ、二人で鳥探して、あちこちに行ってさ。渡り鳥の群れは圧巻だったなあ・・・。
準人 ああ・・・そういえばそうだな。
空子 ねえ、良かったの?
準人 何が?

空子 準人は、人類で初めて空を飛ぶ人になりたいんだと思ってた。あのとき・・・

【回想】
アサクラが手に木の板を持っている。

アサクラ 空子ちゃん! 誰も来ていないか!?
空子 来ていないですよ~。
アサクラ 邪魔されたくはないんだ! 滑走路をしっかり守ってくれよ!

空子 まだ夜明け前なのに・・・元気だよね~。
準人 仕方ないよ。待ちに待った瞬間なんだから。
空子 何よ、他人事みたいに。準人にとっても、長い長い夢だったんでしょ?
準人 まあね。

アサクラ 夜が明ける・・・ いいか! ふたりとも! 君たちは歴史の証人だ!
空子 はーーい! 見てますって!
アサクラ プロペラよし! 調子がいい! では、いくぞぉお!

アサクラ、駆け出し、黒子に持ち上げられて、宙に浮かぶ。足で車輪を漕ぎながら。

空子 あっ・・・
準人 飛んだ。

アサクラ ハーーッハッハッハ! 飛んだ! とうとうやったぞ! どうだ! 私は間違ってなかったぞ! ざまあみろ! ざまあ見ろだ! 今までさんざん私を上から見下ろしてやがって! 私には見えるぞ! この世界が! この世界の終わりが! 来るんだ! 新しい世界が始まるぞ!! 新世界だ!

【時間は戻って】

空子 あれからずっと、浮かない顔だよね。
準人 飛行機の整備に忙しくてね。
空子 それだけ?
準人まあ・・・。
空子 きっとすぐに量産体制が整って、工場でどんどん造らるようになるわ。
準人 微調整には人の手が必要なんだ。それに、もっと軽く、もっと長く飛べる飛行機を造れという、上の命令でね・・・。
空子 なんのために・・・?
準人 それは・・・それは、嫌な話になるけど・・・。
空子 聴かせて。

準人 ・・・爆弾をたくさん積むためだよ。
空子 どうして、爆弾を積むの?
準人 気に入らない誰かを消し去るためさ。
空子 どうしてそんなものを作るの?
準人 戦争をするんだ・・・。
空子 どうしてそんなおそろしいことに手を出して・・・
準人 お金が必要だったんだ! 飛行機を作るためには、どうしてもお金が必要だった! アサクラさんはそう言って、確かに沢山のお金を持ってきたよ。だけど、それと同時に、空を飛ぶことの意味を殺してしまった・・・。
空子 私ね、飛行機が完成して、たくさん法律を作ったんだよ。みんなが幸せに暮らせるように。大きくなった手の内側をちゃんと埋められるように。なのに・・・どうしてこうなっちゃったのかなぁ。

準人 最近また、あのときの隼人のことを思い出すんだ。
空子 台風の夜にいなくなった・・・弟さん。
準人 あいつは自由になったんだ。死んでなんかいない。
空子 うん。
準人 俺のせいなんだ。
空子 え?
準人 隼人がいなくなったのは。
空子 ・・・。
準人 俺が空を飛ぶんだと一生懸命になるほど、隼人はだんだんと飛ばなくなった。あいつは・・・あいつはあんなに空が好きだったのに。あいつは、俺に遠慮して、それで居場所を失っていったんだ。
空子 それで、あの台風の日に、いなくなったんだ。でもさ・・・。
準人 最初はどうしていいか分からなかった。でも、時間が経って、だんだん、隼人のためにもそれで良かったんだって、自分の中でそう思えるようになっていたんだ。だけど、飛行機を発明して、空に線を引いて、どこそこは自由に飛んではいけないなんて法律ができて・・・・・・
空子 ごめんなさい・・・。
準人 違う、俺なんだ・・・俺は、また同じことをしている・・・そう思えて、そう思えて。
空子 ・・・そうだったんだ。つらかったよね。でも、一人で悩まないでよ。まるでこの世界にたった一人みたいにさぁ・・・。

ふいに、アラームが鳴る。

準人 ああ、行かなくちゃ・・・。
空子 どこへ・・・?
準人 今日は、新型のテスト飛行なんだ。
空子 ・・・そんなの、休んじゃいなさいよ!
準人 それはできない・・・。大勢の人に迷惑がかかる。
空子 いま、あなたに空が飛べるとは思えない。
準人 ・・・そうだよな。隼人には空が必要だった。でも、多分、今の俺には空を飛ぶ必要なんてないんだ。ただ、お世話になった沢山の人とお金が俺に空に押し上げる。空を夢見た落とし前というやつをつけないといけないんだ。
空子 そんなのって・・・。
準人 あのさ、空子。金の王子様とツバメの話、知らないかな。
空子 ツバメが金の王子様の像から金をはがして貧しい人に届ける、あのお話?
準人 うん。
空子 知ってるけど・・・あんたはその王子様だとでもいうの? 自分を犠牲にして・・・。
準人 いや。ただ、もし、金の王子様が金を配ったというならば、・・・その配った金はただの金じゃない。意味が宿り、お金と同時に、その宿命をも、受け取らないといけないだろうね。
空子 宿命・・・・・・人が空を飛ぶという、宿命?
準人 空を飛ぶことを見せたものの宿命、かな。だから、行ってきます。
空子 待って! そんなの、背負って飛べる人間なんて、この世界には、誰一人いないよ・・・無理だよ、そんなの、重すぎる。そんな風じゃなくて、ただ、飛べばいいじゃない、誰かのためではなく、ただ自分のために・・・。

暗転
空子にスポットが当たって。

空子 その日の、午後になって準人が砂漠を飛行中、消息を絶ったと連絡がありました。

アサクラにスポットが当たって。

アサクラ 待ってくれ! 捜索打ち切り?! 納品した飛行機を一日だけ貸してくれ! 私が必ず彼を見つけ出す。

明転

空子 そんな気がしていたの・・・。
アサクラ え・・・?
空子 あの日の朝、準人はそんな顔をして、ここを出て行ったんですよ。
アサクラ そんな顔って・・・いったい何があったんだ。

一瞬、暗転。かくかくしかじか。

アサクラ ・・・準人はそんなことを。
空子 ねぇ、もうやめません? 隼人くんがいなくなって、準人がいなくなって、アサクラさんだけになってしまいました。
アサクラ 確かにそうだ・・・。つねに私は私だけのために動いていた。だが、いつしか私自身、それが何の意味を持つのか考えるのをやめてしまっていた・・・。
空子 待ちませんか?
アサクラ え?
空子 人が空で生きるのにふさわしい日がくるまで、少し待ちませんか?
アサクラ 待つ? それは・・・無理だ。知ってしまった。空を飛ぶということを。今更、引き返せない。

隼人が戸口に現れる。スーツ姿で会社員然としている。

隼人 あの・・・
アサクラ はい。どちら様で?
隼人 ・・・準人の、弟です。
空子 もしかして、隼人くん?
隼人 はい、あの・・・兄が行方不明になったって。新聞で見まして。

空子 ・・・その恰好は?
隼人 僕はかつて、空を自由に飛んでいました。でも、森が伐採され始めたとき、地に足をつけて生きようって・・・。それで、人間だから出来ることで、森のみんなを守ろうって決めたんです。
空子 じゃあ今は・・・? 今はもう飛べないの・・・?
隼人 いえ、今でも、ちょっと心を自由にすれば、ほら・・・
アサクラ 1ミリも浮かんでいないんだが・・・。

隼人 大丈夫。行ってきます。

空子 待って。・・・お願い! 準人を・・・。
隼人 はい。行ってきます。

隼人、はける。

アサクラ ・・・大丈夫なのか?! あれで大丈夫・・・
空子 大丈夫ですよ。・・・きっと。ほら、風が・・・。

部屋の中に風が渦巻く。

アサクラ どういう理屈なんだ・・・。



砂漠に一人、準人が横になっている。
水の入ったボトルを傾けて、それから、投げ捨てる。


準人 よく似合っていると思った。分かるんだ。・・・ここには誰もいない。誰も訪ねても来ない。夜は寒く、昼は暑い。厳しい場所だ。よく知りもしないで、憧れだけでここまで来てしまった。すまない。・・・隼人、これで兄を許してくれるだろうか。アサクラさんが初めて空を飛んだとき、心のどこかで同じようにざまあみろと思った兄を、許してくれるだろうか。ただ、あきらめずに空を飛びたいと思って必死に生きたこの人生に後悔はない。最期にそう思うことぐらい、許してくれるだろうか・・・。

隼人 許すよ! 全然、許すよ!

準人 ・・・お前、

隼人 久し振り

準人 ・・・遂にお迎えが来たようだ。
隼人 そうだよ。迎えに来たんだよ!
準人 俺なんかが、天国に行ってもいいのか、隼人。
隼人 いやいや、行き先は天国じゃないよ、兄ちゃん。
準人 いやだって、空飛んで・・・お迎えに・・・天使が・・・
隼人 いや、僕、飛べるじゃん! 昔から飛んでたじゃん!
準人 しかも、憎いねぇ・・・隼人の恰好なんかしちゃって・・・。スーツでばりばり仕事人って感じでさぁ・・・。
隼人 こいつ、全然死にそうじゃないな・・・。ほら、空子さんのところ、帰るよ。
準人 ・・・そうか、空子、心配してるだろうな。
隼人 空子さんだけじゃない。僕だって、母さんだって、アサクラさんだって、みんな兄ちゃんの無事を願っているよ!

準人 隼人・・・お前、本物なのか?
隼人 黙っていなくなって悪かったよ。
準人 いや、俺がお前を追い出した。すまなかった・・・。
隼人 でも、決めたのは僕さ。
準人 でもやっぱり・・・
隼人 いろいろあったんだ。で、その方がいいと思ったんだ。
準人 なんなんだよ、お前はさ・・・。
隼人 飛行機、出来たんだろ?
準人 ・・・出来た。
隼人 約束、覚えてるよな?
準人 約束?
隼人 出来たら、最初に僕を乗せて飛んでくれるっていう、あの約束だよ。まさか、空子さんを乗せてもう・・・
準人 そ、そんなことはないさ・・・はは。
隼人 だから、早く帰ろう、こんなところにいつまでもいないでさ。

準人 ・・・いや、その・・・許されていいのだろうか。
隼人 ・・・あー、もう! 面倒くさいな! いいの。許されていないと思うなら、これから、そうなればいいんだよ。そうなればいいんだからさ・・・。
準人 ・・・ああ、ずるいよなぁ・・・。
隼人 えぇ・・・。
準人 お前は、いつだって俺の先を飛んでいる。出来の良い弟を持つと、兄は大変だよ。
隼人 そうだろ? だから、どこまでも遠く、飛んでほしい。
準人 ああ、誰も見たことのない場所へ、いつかきっと・・・。
隼人 うん。
準人 いこうか。
隼人 うん。
準人 なあ・・・ありがとうな。

音楽。

準人は、隼人の手をつかみ、立ち上がる。
ふたり、歩いてはけていく。

これにて終幕。