つつ

作・なかまくら

2012.8.6

もくじ

こたつつまみ

けつつかみ

ふつつかもの

つつぬらし

あきつつむぎ

ゆめうつつ





あらわれるヒト

ψ前川 由奇奈(まえかわ ゆきな)

ψ貝谷 暖(かいたに だん)

ψ風炉前 花子(ふろまえ はなこ)

ψ長山 積治(ながやま せきじ)

ψ名越 志保(なごし しほ)(旧姓:楠木 志保)

ψ名越 明(なごし あきら)





「つつ」





【こたつつまみ】



つつ、手を差し出すと、置かれる、浮かれる、引かれる。え、どこに?



前川、どこかに電話。



前川 あ、新城さん? 私。ねえ、今週のカクザ当番は誰? 太田さん? なにをやっているの・・・早く買ってきて! がちゃん!



間。



前川 ・・・おやぁ。

貝谷 ・・・・・・。

前川 君は、えーっと、いつからそこにいたんだ?

貝谷 えっと、

前川 ・・・そうだな。いや、すまない。甘いものが切れると、頭が回らなくなるんだ。思い出そう。

貝谷 いえ、まだなにも話してな・・・。

前川 いや・・・分かった。とりあえず、コーヒーが淹れられないようだから・・・角砂糖が届くまで、ひとつ、慰みに話でもしようか。ある、知人から聞いた話だ。



アパートの階段をのぼる音。

夜の音がする。



貝谷 アルチ人から、聞いた話・・・?



前川 それは、ひとめぐり前のある冬の出来事だったそうだ。



前川ははける。貝谷ははける。

前川別のところから、ずっと現れる。

貝谷別のところから、がちゃっと現れる。誰もいないはずの部屋。



貝谷 ただいま。

風炉前 おかえりなさい~。

貝谷 ・・・だれ?

風炉前 だれって~、わたし、風炉前 花子ですっ。あなたはだあれ?

貝谷 山田谷男です。



前川 知人は、ホラー小説が好きで、なにか、ホラー小説の扉ページに手を触れた時に感じる、白っぽい違和感を感じていた。それで、



風炉前 どうしてウソをつくの?

貝谷 え、ウソって?

風炉前 あなたの、名前は、山でも谷でもないでしょう。

貝谷 どこのだれかもわからない、いまはそういう君が不気味だ。それは本当だ。



前川 知人は、なまえを悟られてはいけない、というオノレの直観に従っていた。



貝谷 ええっと、テレビ、観てもいいかな。

風炉前 あ、じゃあ、帰るね。騒がしいのは、苦手なんだ。

貝谷 あ、うん。

風炉前 じゃあね。



貝谷 ・・・・・・。



テレビのおと。笑い声がときどきはいる。

バラエテイ番組のようで、明るさが不可思議である。

ときどき笑う知人。



前川 知人の話によれば、彼女は結局この話には全く関係がない人物だったという。それは、テレビのCMの間にこたつを離れたときのこと。



SEトイレの水の流れる音。

戻ってくる知人。



前川 ・・・・・・知人は、そのとき、あれ? と思ったそうだ。こたつの端が少しだけ浮いている。



前川 気のせいだと言われれば、その通りだと“いいだくだく”とそれで済んだはずなのだけれど、その部屋には、だれもいないはずだったから、だれも気のせいと言ってくれなかった。すなわち、



貝谷 だれか、いる・・・?



知人、はける。



前川 さきの風炉前なる女が戻ってきているのかと玄関を覗いたが、靴もなく、扉は静かに閉じたままであった。知人の部屋の玄関の明かりは繊細なセンサー式で、ちょっとした人影も、見逃しませんさー・・・



貝谷 ごほん。



前川 ・・・そのセンサーは、消えたままだったという。リビングに戻るとやはり、



貝谷 ・・・・・・(テレビを消す)。



知人、あたりを見回す。窓を確認して、カーテンを閉める。

携帯を開いて、どこかに電話を掛けながら、家を飛び出していく。

暗転。



暗闇の中に、こたつのゴォーっという音と、漏れ出るこたつの明かり。

こたつ布団が少しめくれて、

赤い明かりが覗く。

赤い明りの中から、だれかが覗いている。

だれか、かれ、だれかれかまわず、だれもがのぞいている。



明転。



前川 妖怪『こたつつまみ』の仕業さ。寒い夜にはよく出るもので。こたつの中に入ってくるすきま風。そんなすきまを開けたつもりはないのに、どこからか吹き込んでくる。まるでだれかがこたつをつまんでいるかのように。だれかがいるとすれば、それは、妖怪『こたつつまみ』さ。疑問は解けた?

貝谷 あの・・・。

前川 なに・・・?

貝谷 どうして、僕のことをそんなにも知ってるんですか? まるで、観てきたみたいに。

前川 観てきたみたい・・・いい得て妙なはなしかもね。

貝谷 はあ・・・。

前川 受付。

貝谷 受付?

前川 受付で女の人にあったでしょう?

貝谷 はい。

前川 妖怪『つつみあかし』。彼女にはなにも包み隠すことはできないのよ。

貝谷 え、妖怪・・・。

前川 ヒトの世では、うらない師とよばれているもの。

貝谷 ヒト・・・じゃないんですか?

前川 さあ、どうだったかしら?

貝谷 そんな・・・

前川 自己紹介がまだだったわね。前川由奇奈、妖怪の研究をしているわ。

貝谷 貝谷暖です。

前川 貝谷くん。

貝谷 はい。

前川 覚えておくわ。左様なら。



貝谷 はい。



貝谷 ・・・また、どこかで会いそうな気がします。

前川 いっとくけど、私、独身だから。

貝谷 どくしんじゅつのほうですか?

前川 ど、独身術・・・・・・ま、まさか。はは。

貝谷 ?

前川 いえ、なんでも。・・・私もまた、近いうちに出会う気がするわ。



貝谷はける



前川 左様なら。



暗転。





【けつつかみ】

つかみとったものは・・・。



貝谷が、ボーっとしているのは喫茶店というもっぱらの噂。

そして、おもむろに、



貝谷 僕の名前は貝谷暖(かいたに だん)です。



そこに風炉前が間髪入れずやってきて、



風炉前 そうなの、奇遇ね、私の名前は風炉前花子(ふろまえ はなこ)なのよ、ここの席、座っていいかしら?



何事もないように、二人の会話ははじまっていく。



貝谷 え・・・。席ならほかにもあるじゃないですか。

風炉前 ここ、がいいんですよ。わかりませんか? わかりませんね。

貝谷 ここになんか思い入れでもあるんですか? 別に、それだったら譲りますけど。

風炉前 じゃあ、こういうことにしましょう。私は、10年前の今日、ここで、ある人と約束したの。この日、ここで会いましょうって。そして、そこで今日、ここに来たら、あなたがいたのよ。あなたはその約束のことは忘れてしまったかもしれないけれど、

貝谷 してません。物心ついてましたよ、ちゃんと。

風炉前 あら、残念。でも、せっかくここであったのも、またしてもなんだか運命的じゃないかしら。

貝谷 またしても?

風炉前 おっとっと。

貝谷 ・・・。

風炉前 食べます? おっとっとなんですけど。

貝谷 食べません。

風炉前 あなたいま、下手に誤魔化したって、・・・思ったでしょ?

貝谷 思ってません。

風炉前 これっぽっちも?

貝谷 これっぽっちも。

風炉前 もう、なんなんですか? 誰なんですか。

貝谷 貝谷です。

風炉前 って、思ってるでしょう?

貝谷 思ってませんって。

風炉前 もういいや。思ってるとして私の名前は、ちなみに風炉前花子ね。なんか、せっかくだったのにつまらないなぁせっかくだったのに。ちぇっ。

貝谷 そんな顔されてもまったく申し訳なく思わないわけなのですが。

風炉前 もーしょうがないなぁ、貝谷くんは。お詫びに・・・・・・私が、『けつつかみ』の話をしてあげるよ。

貝谷 けつつかみ?

風炉前 気になる? この前見つけた―(妖怪なんだけどね、)←喰われる。

貝谷 妖怪の話ですか。

風炉前 おいっ! ちょっと、おい!

貝谷 ちょっと縁がありまして、その手の話に。

風炉前 妖怪に縁があるのかぁ・・・、まあ、そうだよね、私もそうだし。って、縁起でもない!

貝谷 そうなんですか。

風炉前 こっちは、演技なのに、そっちは、縁起でもないわけねっ!

貝谷 そういうことになりますか。

風炉前 なんだか、心外だなぁ。ぐっと掴んでつかみはおっけ~、って感じだと思ったのに。

貝谷 どのあたりが。



長山 うぇっほん。



風炉前 あ。

貝谷 ええっと、この、ナツメジュースというのをひとつ。



長山 以上で?

貝谷 (風炉前をみて)はい。以上で。

風炉前 ふふん。

貝谷 ん゛?

風炉前 そ、そんな明らかに不機嫌な顔しなくてもいいじゃんいいじゃん、ちょっと落ち込んじゃうよ。聞いてくれないと。

貝谷 ああ、はいはい、聞きます。聞けばいいんでしょ?

風炉前 今さ、店長、私のこと見なかったから、私が、幽霊か、或いは妖怪みたいな存在、そんな気がしてくるでしょ? ていうか、信じる気になってきたでしょ??

貝谷 初耳なんですが・・・そういえば、悪寒が・・・。

風炉前 それでね、私の友達の話なんだけどね、



貝谷 その友達というのは、喫茶店で働いていたそうです。



風炉前が知人になる。



貝谷 ふと、視線を感じるのです。その視線というのは、じとーっと、どこか湿り気があって、歩いてみると風が起こり、下着が少し涼しいような。振り返ってもなにもない、そんなある日、ぐっと、お尻を掴まれた気がして、驚いて飛び上がったのです。振り返ると、



風炉前 ・・・。



貝谷 だれもいない店内があるだけでした。閉店間際の店内にはお客さんもまばらで、店長と、自分を入れてバイトが二人。コーヒー一杯でカタカタとキーボードを打ち続ける作家らしき男がいるばかりでした。



前川由奇奈、現れる。実は途中から、前川由奇奈の居室になっている。



前川 その相談の手紙なら、覚えている。たしか、偶然にも、数度の手紙のやり取りの後、彼女の喫茶店で、お茶を飲む手はずになっていた。

貝谷 おお。そうなんですか。ていうか、相談、結構あるんですねぇ。

前川 彼女自身は、ただの痴漢だと思っていたようなのだけれど、彼女の友達の・・・なんといったかな・・・フルカワ・・・さん、だったかな? 少し変わった名前だとその時思ったんだが・・・。



場面が変化し、



風炉前 風炉前花子です。

前川 ああ、あなたが、風炉前花子さんですか。

風炉前 はい。

前川 それで、戴いたお手紙を読ませてもらった限りでは、あなたがなんらかの理由で、あるいは趣味のようなもので、怪談話に仕立て上げようとしているようにしか思えないんですが。

風炉前 趣味、ですか。面白いことをお言いになりますね。

前川 私のような人間を知ってるわけですから、まあ・・・それなりにはそうなんでしょう?

風炉前 やだなぁ・・・インターネットって、ご存知です? それでちょいちょいって、ググったんですよ(親指びしっ!)

前川 そうですか。それで、

風炉前 ええ。彼女は、痴漢だっていうんですよ。監視カメラは肝心なところは映していないし、証拠はないんですけれど。でもって、彼女は犯人は、十中八九、この喫茶店のオーナー、長山積治(ながやま せきじ)だというんですけどね。

前川 ああ、あの、あそこで(ながやまさんの特徴をいい得て妙に)してる人ですか。

風炉前 そうです。

前川 なるほど~。確かにちょっと、そういう顔してますよね。

風炉前 いや、そうではなくて、

前川 そうではなくて、ということですよね。私にお手紙をくださったあなたは、そうではないと思っている。

風炉前 まあ、結局、ちょっとした趣味のようなものなんですけどね。もう少し、調べてみたんですよ、この喫茶店のこと。

前川 コホン・・・まあ、一応、私もそういう趣味がないではないわけですから、

風炉前 私の考えではですね・・・、



前川 ところがね、貝谷くん。問題は、もう少し複雑だったんだ。



不自然に時間と空間が混ざり合うような錯覚。



風炉前 私が調べたところですね、この建物、人が死んでるんですよ。

前川 えっ・・・つまり、

貝谷 つまり、幽霊という可能性もあると?

風炉前 10年ほど前みたいなんですけどね、オーナーは今の長山ではなかったそうです。前のオーナーは比嘉山という50を過ぎたくらいの男性だったそうです。

前川 そのオーナーはその場所でカレーハウスを営んでいたそうだ。

貝谷 ずっと喫茶店だったわけじゃないんですね。

風炉前 比嘉山は、人手不足に困っていた。そんなに繁盛しているわけでもなく、お昼時でも、決して広くない、店内に空席が目立つような具合だったそうです。

貝谷 まさか、そのオーナーが経営に困って、自殺・・・。

風炉前 まさか。そのオーナーに、この話、聞いたんですよ? 幽霊だったっていうなら、それはあれですけど。

前川 いや、失礼。そんなつもりは・・・。先走ってしまったようです。

貝谷 それで、

風炉前 味は良くて、常連のお客さんもいる隠れた名店だったみたいです。少し、奥まったところにあるし、お客さんは男性ばかりだったそうです。

前川 できたのは5年くらい前だったそうだが、徐々に常連を増やしていたそうだ。

貝谷 で、人手不足とはどう関係してるんですか?

風炉前 バイトの従業員の入れ替わりがやたら早かったんですよ。給料がほかの飲食店に比べてとりわけ低いということもなく、比嘉山という男も割と感じのいい男でしたから、合う合わないはあったでしょうけれど、次々とバイトが辞めていく理由になっていたとは考えにくいんです。

前川 なるほど。

風炉前 ところが、常連のお客さんがある日、ふと、言ったんです。

貝谷 「今、裏に誰かいるの?」

前川 ちょうど前のバイトの池島さんが辞めたばかりであったから、裏には誰もいないはずだった。

貝谷 明かりもついていない。耳を澄ませば、

前川 「やだなぁ、やめてくださいよ、そういうの」

貝谷 比嘉山がそう言うと

風炉前 「おいっ」

貝谷 どこかくぐもった声が、聞こえたそうです。

貝谷 ・・・・・・カウンターの下から。

前川 ・・・飛び退った比嘉山は声のした

貝谷 方に、

風炉前 突然に、

前川 目を向けることもかなわずに、

貝谷 ・・・・・・・・・「移った方がいい。あんたのためだ」。

前川 比嘉山は移ることにしたそうだ。その常連の男は、それ以来現れることはなかったのだが、ある日、痴漢が元で自殺した男が冤罪だった、というニュースが流れたそうだ。その男の顔は、

貝谷 ・・・その常連の客だったんですね。



前川 ま。そういうことだ。

貝谷 んー、でも、関係ないんじゃないですか? 話聞くと、別にそこで死んだわけじゃないんですよね。しかも、痴漢も冤罪なら・・・。

前川 だが、その男は、自殺の前後にそのカレーハウスに足しげく通っていて、念が、残っていた、という可能性もあるだろう、



間。風炉前はいつの間にかいなくなっている。



前川 ・・・と、彼女は言っていた。

貝谷 ・・・はい?

前川 ま、



間。



前川 妖怪の名前は、(貝谷にふる)

貝谷 ・・・け、『けつつかみ』。女の子のお尻をがしっと掴むという破廉恥な妖怪。

前川 ほう、貝谷くんはそう思うのか。はれんち。

貝谷 いえ、受け売りです。その喫茶店かは知りませんが、そこで偶然知り合った人が、そう言っていたんです。名前は・・・ええと、忘れました。



風炉前という存在はどこかに消え去っている。



前川 ふむ。是非一度お茶に誘いたいものだ。ところで貝谷くん。私の知っている限りでは、ヒトの心を掴むものは、いつだって、少し怪奇なる部分を持っていると思っているのだけれど、

貝谷 はい。

前川 今回の事例は、例えるとしても、逆ということが一番収まりが良いのではないかと思う。

貝谷 逆・・・?

前川 因果応報という言葉がある。ヒトは、因果に応じて報いを受けるという意味だ。

貝谷 はい。

前川 通り雨に降られたり、大切な日に風が強かったりすると、「なにか悪いことしたかな・・・」と考える。因果応報だ。

貝谷 ああ。この前、賞味期限ぎりぎりの卵で半熟の目玉焼き作って食べた時に、「目玉の呪いだ~、ぐふぅ」って、思いました。

前川 それだよ、貝谷くん。その非を認められないとき、妖怪でもなんでもいい。共通認識されうるなにかに肩代わりしてもらおうとするものなんだ。つまり、今回の一件は、そういうことではないかと、私は、締めくくった。

貝谷 ちょ、ちょっと待ってください。じゃあ、なんですか。その友人さんは、痴漢を受けた時、なにか悪いことをしたかな、と思って、それで、それでその悪いことを受け入れられないから、痴漢を妖怪のせいにした、と。妖怪のせいなら仕方ない、と、そういうことにした。そういうことなんですか? ちょっと意味が分からないんですが。

前川 貝谷くん。落ち着くといい。いいかい、今回、友人さんは犯人について、なんと言っていた?

貝谷 ええっと・・・。あれ・・・?

前川 友人さんはね、犯人は、店長の長山だと言っていたんだ。そして、妖怪の仕業だと言ったのは、彼女の友人さ。

貝谷 ・・・・・・。

前川 彼女の友人は、こうも言っていた。自殺をした、痴漢の男がこの建物にいた。はたしてそれが、なんの影響もなかったのか? それとも、そこにはなにか特別な関係があったと考えるべきなのか・・・。

貝谷 ・・・・・・。



前川、ぱたんと閉じる、本。



前川 つまり、そういうことさ。

貝谷 真相を明らかにはしないんですか?

前川 そんなことをしてなんになる? 不思議なことを解明してしまったら、私は商売あがったりだよ。

貝谷 じゃあ、もし、僕が、真実を明らかにしたら・・・。

前川 止めないね。

貝谷 え?

前川 君はそういう人間じゃない。

貝谷 そんなこと・・・分からないじゃないですか・・・。

前川 だから、もし、君がそういう行動に出るとしたら、それは、君が新しい妖怪を生み出した、あるいは、自分のそばに呼び込んだことになる。それは実に面白い。そうだろう?

貝谷 ・・・そうでしょうか。

前川 それでよろしい。



間。



貝谷 でも、偶然同じ事件に出会うなんて、不思議ですね。まるでなにかに導かれてるみたいで・・・。

前川 貝谷くん!

貝谷 は、はい!

前川 運命の赤い糸などない! よって、そのような妖怪もいない! そうだろう・・・?

貝谷 はい。

前川 よろしい。また、面白い話があったら是非、聞かせてほしい。

貝谷 はい。さようなら。





【ふつつかもの】

ヒトは、名前が変わると、どうなるのだろうか。

変わり始めてから、変わりきるまでに、どのような過程を経るのだろう。





結婚式の行列。神社にお参りに行くような、そんな参列。

花嫁の他は、黒子のような恰好。顔にはお面あるいは黒い布がさがっている。

結婚式の一般的なイメージは不要。鈴が時々なるような(SE)。

しゃらん、しゃらんという。



参列者の中に、貝谷。

折り畳みの傘をさそうとするが、なにやらうまく開かない。

そこに傘をさした前川由奇奈が現れ、



前川 こんばんは。

貝谷 え、前川先生!? どうしてここに。



風炉前 きゃぁ~、もしかして、前川由奇奈 先生じゃありません? 妖怪研究の。

前川 そうだけど?

風炉前 私、大ファンなんです~。サインください!

前川 いいけど。

風炉前 じゃあ、この腕にサインしてもらえます~~?? 風炉前花子さんへ!って、忘れずに書いてくださいね!

前川 腕に・・・?

風炉前 はいっ!

前川 では・・・。はい。

風炉前 ありがとうございますっ! では、私はこれで。さようなら~。

貝谷 ・・・だれですか?

前川 知らないな。・・・お風呂前なのか・・・。

貝谷 数分後には消えてますよね、きっと。



前川 そうそう。君こそどうしてこんなところに。親族かなにかか?

貝谷 あ。いえ。呼ばれたんですよ。

前川 おや。奇遇だな。私もだ。

貝谷 旦那さんの方ですか?

前川 そうだ。だが、興味があるのは、奥さんの方だ。

貝谷 楠木先輩ですか。

前川 先輩?

貝谷 あ、ええ。楠木先輩・・・今は、名越さんになられましたけど、楠木先輩は、写真部の先輩で、僕が1年の時に、3年生だったので、少しの間だけでしたけど・・・。

前川 それにしても、夜だが、

貝谷 はい?

前川 天気雨のようだ。

貝谷 え? ・・・本当だ。星が奇麗に見えます。

前川 これじゃ、まるで狐の嫁入りだな。

貝谷 狐の嫁入り。



名越(妻) 狐は言いました。「そんなことをして、もしばれたら、あなたは村の人たちからどんな非道いことをされるか・・・」男は言います。

前川 「だが、ここでもし、君が私の家に嫁にやってきたら、君は、」

名越(妻) 「わかっているつもりです。私が雨乞いの生贄となることで、あなたに幸福な日々が訪れるというのなら・・・私はどうなっても構わないのです」

前川 そう言って、狐の娘は、人間の花嫁姿に化け、男のところに嫁いでいきました。

2人 罠にはまった狐の娘が殺された同じ空からは、

3人 雲一つないにもかかわらず、

3人 大粒の雨が、

前川 まるで涙のように降ってきましたとさ。



貝谷 狐の嫁入りって、そんな話だったんですね。

前川 どこまでが作り話かは正直よく分からないが、天気雨が降ると、狐が嫁入りしてるんだ、なんて、よく言ったものさ。



貝谷 前川先生・・・・・・

前川 ん? なんだ、その顔は・・・なんか私が悪いことでもしたみたいじゃないか。

貝谷 生贄とか・・・不吉じゃないですか。

前川 そうか、確かじゃないが、不吉な言葉であるのかもしれないな。

貝谷 縁起でもない。

前川 縁起というのは大事だな。ところが、どうして夜の結婚式なんだ?

貝谷 そうですよね。なにか縁起をかついでいるのでしょうか・・・。先輩の旦那さんが、どうしても、夜がいいって、言ったそうで。

前川 そうか。



鳴り続けていた鈴の音。

しゃらん、と音が鳴ると、道の後ろ側に、等間隔に明かりが灯る。ゆるゆらと、



貝谷 あ・・・。

前川 明かりがついたな・・・・・・洒落てるじゃないか。夜を歩くわけだ。



しゃらん、しゃらん、と音がして、参列は歩き出す。ゆっくり、ゆっくり進み、

はける。



暗転。しゃらん。



前川 名越さん・・・旦那さんからの手紙がこれだ。

貝谷 ・・・・・・僕が読んでもいいんですか?

前川 なんだ・・・読みたくないのか。

貝谷 読みたいです。

前川 ならば遠慮せずに読みたまえ。



貝谷 はい。



貝谷 前川 先生。

2人 ご無沙汰しております、突然の手紙をお許しください。



貝谷 教え子だったんですか?

前川 まあね。



名越(夫) 実は、この度、結婚することになりました。そのことで、困ったことがありまして。



前川 困ったこと?

名越(夫) はい。実は、妻がなにやら思い悩んでいるようなのです。

前川 名越くん。君は悪い男ではないが、誤解を招く発言をする男だと常々思っていたんだ。もしかしなくても、奥さんになにか心配をかけるようなことを言ったんだろう。素直に謝るといい。

名越(夫) ええ、私も最初は、そう思っていました。



貝谷 ・・・あれ?

前川 ここで手紙は唐突に途切れる。

貝谷 え・・・?

前川 しばらくは気にしていたが、少しすると、印象は薄れ、次第にそんなこともあったか、というくらいに日常に埋もれてしまっていた。そんな時に、この結婚式の招待状と一緒に、この最後の手紙が送られてきたんだ。

貝谷 最後とか言わないでくださいよ、普通に、一番最近来ただけじゃないですか。

前川 英語に直すと、last letterなんだが?

貝谷 あいかんとすぴっくいんぐりしゅ です~。

前川 威張るな。

貝谷 トラの威を借る狐のポーズ!

前川 トラなどいないぞ。

貝谷 (ハッとして)・・・コンなはずでは・・・。

前川 ・・・・・・。

貝谷 すみません、読みます。

前川 そうするといい。



名越(夫) 前川先生。前回の手紙から随分と空いてしまい、申し訳ありませんでした。妻に話を聞くと、なんでもない、というばかりでした。そこで、結婚されている会社の上司に相談に乗ってもらったのですが、どうやら、嫁入り前の女性というのは相当にデリケートなようです。先生に聞いたのが間違いの始まりでした。



前川 (ばこん)

貝谷 僕は、これを読んでるだけじゃないですか!

前川 ゆ、ゆるせん・・・。

貝谷 続き、読みますよ。



名越(夫) ・・・という冗談はさておき。



貝谷 冗談って書いてあるじゃないですか!

前川 この名越というやつは、学生の時には、こんな状況で冗談を言うようなやつじゃなかったと、言っておこう。この時点で、名越の中でなにかが壊れかけていたんだろう。



名越(夫) どうやら、結婚して苗字が変わってしまうのが、気になるらしく、苗字が名越になった場合の姓名判断もこっそりしてもらっているそうなのです。それに、なにより、「名越 志保」という名前で呼ばれることに違和感があるようなのです。



名越(妻) ねえ、名越さん。

名越(夫) 君も、名越さんになるんだよ。

名越(妻) あ、そうだったわね。まだ私、楠木が抜けないみたいで・・・。

名越(夫) まあ、ゆっくりでいいから。

名越(妻) うん、・・・それでもいいと思うんだけどね。子どもが・・・・・・子どもが楠木さんで生まれてきたら、名越さん、いやでしょ?

名越(夫) ん、どういうことだ?

名越(妻) なんでもない。早く楠木を追い出すから、もうちょっと、時間を頂戴ね。



名越(夫) 気になっているのは、妻の志保(しほ)は、少し霊感の強い方で、二人で住む場所を決める時にもだいぶ揉めましたし、実際に調べてみると、なにやら曰くがあったりしたので、私は妻の霊感をわりと信じています。その妻が、大丈夫、と言ったマンションで、だれかと話しているのを見てしまったのです。



イメージは、明かりの消えた和室。



名越(妻) 楠木さん、楠木さん・・・。

名越(妻) 名越さんじゃないですか・・・どうしたんです?

名越(妻) そんな・・・私だって、まだ楠木志保なんだから。

名越(妻) だって、あなたは、私を追い出さないといけないって、旦那に言われてるんでしょ?

名越(妻) お願いだから、いじわるなこといわないで。

名越(妻) いじわるなのは、あなたの方でしょ? 私がいくらお願いしたって、あなたは名越さんと結婚することをやめようなんて言わなかった。

名越(妻) だって、それは・・・・・・あなただって、最初は賛成してくれてたじゃない!

名越(妻) ひとつだけはっきり言えることは、あなたは・・・私ではなく、あの人を選んだんだわ。それがどういう結末になるかしらね・・・。

名越(妻) 待って! お願い! なにもしないで・・・! 私、幸せになるんだよ!



名越(夫) 志保!



振り向く名越(妻)。驚いた顔がこわばって固まっている。



名越(妻) 名越さん・・・。

名越(夫) 幸せになろう・・・。



貝谷 ことは、それで落ち着いたように思えたのです。



がしゃん(SE)。お皿の割れる音。



名越(夫) どうした?

名越(妻) お皿を・・・割ってしまって。

名越(夫) 怪我はないか?

名越(妻) ごめんなさい・・・お皿が・・・。

名越(夫) いいんだ・・・いいんだよ。



名越(夫) 私には見えていました。リビングから廊下を渡ったところにあるキッチンで、志保が、力いっぱい食器を床に叩きつけている姿が・・・。そして、今日、私たちは、結婚式を迎えます。幸せな門出を、どうか、一目見ていただければと思い、この招待状をお送りする次第です。



貝谷 ・・・楠木先輩にそんなことが・・・。

楠木 貝谷くん。

貝谷 あ、先輩。

楠木 元気~? 変わらないね。

貝谷 先輩こそ。

楠木 ・・・まあね。

前川 この度は、ご結婚おめでとうございます。

楠木 ええっと、どなたでしょう?

貝谷 あ、ええっと、なんというか・・・

楠木 あ。ちょっと待って。当てるから。・・・ええっとね。あ。分かっちゃった。

貝谷 え、分かっちゃうんですか!?

名越(妻) 主人から、聞いております。前川先生、ですよね。

前川 ええ。あなたは?

名越(妻) 名越志保です。

貝谷 えっ!? ええっと!?

名越(妻) ごめんごめん。貝谷くんは、びっくりさせちゃったかな。ちょっとバタバタしちゃって・・・心の整理ができてないだけ。

前川 見も知らぬ私などに言われても、余計に混乱を招くだけかもしれませんが、

名越(妻) はい。

前川 あなたには、『ふつつかもの』という妖怪が、とりついているようです。

名越(妻) そうですか・・・。

前川 死に至るような悪さをする妖怪ではありません。その妖怪は、あなたのことを誰よりも愛しているのですから。

名越(妻) はい・・・。

貝谷 先輩・・・どうぞお幸せに。

名越(妻) ありがとう。あ、もう戻らなきゃ・・・。

貝谷 え?

名越(妻) 今日は、両親に、思いっきり甘えるって、約束してるんです! それではっ!



最後の一言は、だれの台詞なのか、それは分からないままになる。



貝谷 行ってしまいました。

前川 行ったな・・・。

貝谷 僕たちも、食事に行きましょう。なんでもご馳走が随分とあるらしいですよ!

前川 貝谷くん・・・。

貝谷 ・・・・・・。

前川 クスノキという植物は、ダニ室という袋をもっている。ダニ室には、クスノキには無害なフシダニというダニが生息し、そのフシダニを目当てに別のダニがクスノキには常に集まってくる。

貝谷 いったいなんの話ですか?

前川 ところが、クスノキのダニ室を人工的に塞いでやるとどうなるか。ダニ室からはフシダニが出てこられなくなる。すると当然、フシダニを食べるダニはクスノキから離れ、フシダニ自体が今度は、植物に害を及ぼすようになる。

貝谷 ・・・・・・やめましょう。

前川 ・・・私はなにもいってない。

貝谷 今夜の幸せは、きっと先輩にとって、一生大切になる宝物になるんです。だから、もう、やめましょう。

前川 だから私は、なにも言わなかったじゃない。それに、嘘も言ってない。

貝谷 え?

前川 妖怪『ふつつかもの』は、自分のことを愛しているのさ。だから、危害を加えるだれかがよってこなければ、なんの心配も、



暗転。





【つつぬらし】



火のないところに煙はたたない・・・大砲に火がつかない戦場があるとか。



前川、新聞を読んでいる。



貝谷 ・・・おはようございます~。

前川 おはよう、貝谷くん。

貝谷 コーヒー淹れますけど、飲みます?

前川 ありがとう。角砂糖は

貝谷 3つですよね。今日は2つにしときません?

前川 いや、3つだ。2つにするくらいなら、いっそ、4つだ。むしろ5つでも構わない。

貝谷 増やしてどうするんですか・・・。

前川 物の数など、ただの偶然が気まぐれに決めているだけに過ぎない。そうは思わない?

貝谷 どうしたんですか、唐突に。

前川 貝谷くんは、新聞は読むかな?

貝谷 ええ・・・まあ。一面くらいは。

前川 じゃあ、これは、目を通していないだろう。大隅新聞のローカル面。ある地方であった花火大会が、中止になった。

貝谷 あー、すっかり夏ですからね。花火大会で、リア充が爆発しようとして不発になったんですね、ざまあみろです。

前川 な、なにがあったんだ。よかったら相談に乗るぞ。

貝谷 いえ、先生に相談できそうなことは何も。

前川 否定はできん・・・ぐぬぬ。

貝谷 ・・・・・・。

前川 ごほん。で、花火大会が中止になった直接の理由はなんだったと思う?

貝谷 えー、そんなの知りませんよ。

前川 花火に火がつかなかったのだとか。

貝谷 火がつかない? 雨とか・・・

前川 いいや。空は雲一つない快晴。夕方になると風も止み、絶好の花火大会日和だと露天商も心を弾ませて準備をしていたそうだ。

貝谷 なんだかそこまでセッティングされると逆に不気味ですね。

前川 後からこうした話を聞くからそう感じるだけで、当人たちはその不自然さになど気付けないものさ。

貝谷 それで、・・・・・・。

前川 まったく火がつかず、楽しみにやってきた客たちは、イライラしてくる。焦って、意味の分からないことを言い出す運営についには、客たちの怒りのボルテージも上がっていって、

貝谷 ・・・・・・。

前川 火がつかなかった。

貝谷 へっ!?

前川 客たちは、いかにも残念そうにその場を立ち去って行った。

貝谷 なんですか、それは。

前川 分からない・・・。ただ、花火大会で使われる玉の数は数千発はくだらない。そんな数の花火玉が一斉に駄目になる、なんてことがあり得るのだろうか?

貝谷 それは、きっと、妖怪『つつぬらし』の仕業ですね。打ち上げる大砲のつつを濡らして、湿らせる妖怪がいるんですよ、間違いないです。

前川 ・・・・・・貝谷くん。

貝谷 はい?

前川 私が思うに、妖怪に不思議な力はない。

貝谷 え?

前川 だが、君のそのアイディアは面白いかもしれない、と言っておこう。いつだって、そうした想像が妖怪を生み出してきたと言えるだろうさ。

貝谷 はぁ・・・。じゃあ、まだ、この件に関しては、全然わかってないんですね。

前川 まあ、そういうことだ。ところで君は・・・ついに、ここに住まうような勢いで、朝からやってきてしまったわけだが、学校はどうした?

貝谷 やだなぁ・・・・・・今日から、夏休みなんですよ。



暗転。



【あきつつむぎ】



貝谷 それは、あの日から少し経った、夏休みも半ばに差し掛かったある日のことでした。



前川 貝谷くん。

貝谷 あ、はい。

前川 夏休みの宿題は終わった?

貝谷 ええ、まあ、あらかた。

前川 じゃあ、私と少しお出かけをしないか・・・?

貝谷 いいですよ。

前川 ところで、君、歴史は得意かな?

貝谷 あ、いえ・・・。とてもじゃないですけど、いい国は作れません。

前川 ははは。まあ、構わない。そもそも大きな出来事ではなかった。風炉前さん。



風炉前 は~~い~~。

前川 地図をお願いします。

風炉前んー・・・どれどれ? ・・・(なんか台詞)。

風炉前そう言って、地図を取り出す。

その地図から、その地がどこであるかはわからない。



前川 歴史とは概して出来事を記録したものだ。起こらなかった記録というものは、風化しやすい。

風炉前 なるほど、そうですよね! さすが、先生の言葉は違うなぁ・・・。

前川 いや、すまないね、受け売りだ・・・・・・君からの。

風炉前 そうでしたっけ?



貝谷 ちょ、ちょっと待ってください。

風炉前 なんですか?

貝谷 あなたのことですよ。

前川 どうしたんだ、まるで妖怪でも見たような顔をして。

貝谷 妖怪? ええ、それです。妖怪ですよ。前川先生、こいつは、妖怪です。



間。



風炉前 ・・・ふふふ・・・ばれてしまっては、仕方がない。

前川 風炉前さん、冗談はよしなさい。

風炉前 はぁ~い。

貝谷 こっちは冗談じゃないんですが・・・。どなたですか?

前川 ほう・・・。

風炉前 そういえば、私も知りませんよ? こんな可愛い学生を抱えてるなんて。

前川 ・・・そうか。なるほど・・・こういう場合は、そうなるのか。紹介しておこう。

風炉前 風炉前花子です。

貝谷 貝谷暖です。

風炉前 よろしくね、貝谷くん。

貝谷 いや、本当にそうですか? これまで会わなかったのは奇遇ですか?

風炉前 うーん、疑心暗鬼っ!

前川 彼女には、しばしば私の手伝いをしてもらっていてね。まさかこれまで会ったこともないとは思わなかったが・・・・

貝谷 僕は・・・信じられません。

前川 信じるとは・・・誰を信じる、ということだろう? 君自身か、それとも、私か。風炉前さんなのか。

貝谷 なんだか誤魔化してませんか・・・?

風炉前 あ、じゃあ。今はまだ、ってことでいいですかね?

貝谷 え?

風炉前 まあ、なんていうか? 大人気ないのは分かってるんですけど、私、妖怪とか言われてなんか、そんな妖怪顔してます?

前川 んー・・・どれどれ? ・・・(なんか台詞)。

風炉前 (なんかリアクション)・・・

貝谷 そうですね・・・すみません・・・ちょっと突っ走りすぎました。

風炉前 いいんですよ。それよりそろそろ、これ、話すすめません?

前川 そうだったそうだった。どこまで話したっけな。



間。



前川 巻き戻そう・・・。



ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる。



前川 夏休みの宿題は終わった?

貝谷 ええ、まあ、あらかた。

前川 ああ、思い出した。私と少しお出かけをしないか・・・?

貝谷 あ、そうでしたね。で、歴史は苦手なんですけど、お出かけは歴史が関係するんですか? 城を観に行くとか・・・?

前川 いや、そもそも大きな出来事はなかった。風炉前さん。地図をお願いします。

風炉前 は~~い~~。そして、もってきたものが、こちらに。



そう言って、地図を取り出す。



前川 歴史とは概して出来事を記録したものだ。起こらなかった記録というものは、どうも残りにくい。

貝谷 どういうことですか?

前川 例えばだ。朝。しかも、新学期の朝だ。



JK きゃ~、新学期早々、遅刻しそ~。

DK ・・・・・・遅刻・・・か・・・。



前川 そんなふたりが、交差点で、



DK きゃっ・・・

JK それ、私の台詞っ!

DK そうか・・・悪かったな・・・。

JK もー・・・あ、いっけな~い、遅刻遅刻~。そういえば今日、転校生とか来るのかなぁ~。

DK ・・・・・・。



前川 結局ふたりの高校は別々で、ふたりは二度と出会うことはなく、おじいちゃんおばあちゃんになって、生涯幸せに、まったく関係ない人生を過ごしましたとさ。めでたしめでたし。



貝谷 ・・・いやいやいや、それじゃあ、連載打ちきりですよ。全然面白ポイントないですよ。

前川 そう。だから、これは、歴史の中で普通に霧散していく物語。なにもなかったことを書き残すことは難しい。

貝谷 それが、・・・どうつながってくるんですか?

前川 君は意外と・・・アレだな・・・せっかちマンだな・・・。

貝谷 少し前から、まったく展開が進んでないんですが! で、この地図が、なんなんですか!?

前川 やれやれ・・・風炉前さん、続きを、巻きで。やれしくたのむよ。

貝谷 ・・・・・・。

風炉前 はい。

貝谷 って、なんで巻いてるんですか? せっかく広げたのに!

風炉前 え、だって、巻きでって言われたので・・・ぐすん。

貝谷 巻きでって、そういうことじゃないですから!

前川 ちょっと・・・前川くん、今日の前川くんは、アレだな・・・ちょっと、変だな。

貝谷 それは、こっちの台詞です。

前川 なるほど・・・。まあ、いい。このままもう少し踊ってみるのも悪くない。風炉前さん、

風炉前 ・・・はい?

前川 続きを頼むよ。のびのびと頼むよ。

風炉前 はい。この地図は、今から約330年前の会季津(あきつ)の地図です。





地図の概要としては、以下のようである。

どこかの列島国を思わせる地形。その下から1/3は海が広がっており、
地図の中央少し右側は陸が少しくぼみ、海が入り込んできている。
土地は、3つの線で区切られ、
北に位置する国は、列島の屋台骨となる山脈を含む土地。
そして、川が海に向かって流れだしている。
南東の土地は、やや縦に長く、山脈の一部を含みつつ、海にも接している。
3つの中で土地は一番広い。南西を占める土地は、ただただ平らな土地である。









貝谷 ちょうど、この辺りの地図ですね。

風炉前 この時代には正確な測量技術はなかったので、実はちょっと西の話なのよ。

貝谷 へぇ・・・。この、黒い線はなんですか?

風炉前 それは、国と国の境界線。この地域は、昔、会季津と呼ばれていたんだけど、豊かな土地でね、国々が奪い合うのは当然、という場所だった。この西側の国が浦戸藩と呼ばれててね・・・ここ、少しくぼんでいる場所があるでしょ? ここが交易の要所になっていて、経済力については申し分なかった。しかも、この右隣の国は、好戦的な人物が国を治めていたから、浦戸藩は軍事力も経済力も十分にある大国だった。

貝谷 この山の、この辺りは、赤い所が見えてますね。

風炉前 それは、山を切り出して、鉄を作っていたの。

前川 たたら場があったんだよ。

風炉前 ああ、なるほど。

風炉前 次に、隣国で山岳地帯にある摺木(するぎ)藩は、林業が盛んで、財政としては豊かではなかったけれど、山育ちの荒々しい気性の兵(つわもの)揃いだったと資料に残ってる。で、残ったこの吉田藩は、平らな吉田平野で、農耕をしていた。気候もいいから、よく作物の取れる土地で、・・・でも、穏やかかというとそうでもなくて、いい血統の種馬が多く育てられてきた土地で、騎馬隊は恐れられていたわ。平和な時期にはよい騎馬を買い求めに全国から人が訪れるような国だったみたい。

前川 とにかく、海側の2国は豊かで、周りの国々はその土地を欲しがっただろう。合戦は、その度に起こったと考えられる。

貝谷 そうですよね、やっぱり豊かな土地で暮らしたいですよね。

前川 ところが、だ。

風炉前 この地域は、合戦の記録がないんですよ。普通、~藩の~が~藩の~を破る。みたいな記述があるものなんです。

前川 ところが、この地域には一切それがない。

貝谷 うーん。・・・・・・それって実は、この3つが同じ国だったんじゃないですか? あるいは同盟国とか、そういうやつで、あまりの大国に、周りは手を出せなかった、とか。

風炉前 ・・・・・・なるほどねぇ。というか、貝谷くん。私もそう思うんですけどね、

貝谷 ・・・はい?

風炉前 前川先生はそうでない、というんですよ。

前川 正確には、そうでない可能性もある、と言っているんだ。

貝谷 そうなんですか?

前川 文献によれば、3国の関係が悪化したことは何度もあったとされている。報呈28年。摺木藩は、塩の取引価格が不当であると、吉田藩に使いを送る。

風炉前 ところが、使いは、その使命を全うすることなく、行方不明になる。

前川 これを吉田藩の答えと受け取った摺木藩は、戦の準備をし、翌、報呈29年、摺木藩、藩主・加治前広永は、宣戦布告とともに6000の軍勢を率いて城をでる。

風炉前 対する吉田藩、藩主・小松尚之は、3000の騎馬と4700の軍勢で迎え撃つ態勢に入っていた。商売の機会と両軍の様子をうかがう浦戸藩の影も暗躍していたそうです。

前川 ところが、その話は途中で唐突に終わる。

貝谷 ・・・え? どうしてですか?

風炉前 ・・・・・・分からないんですよ。伝染病や、感染症の記録もないし、

前川 少なくとも、だ。貝谷くん。この3国が同盟国でないことは、明らかだと思うだろう?

貝谷 ・・・・・・そうですね。

風炉前 ああ、もう!

前川 ふっふっふ。風炉前さん、これで2対1だ。

貝谷 どういうことです?

風炉前 前川先生が、これは妖怪のせいだっていうんですよ。

貝谷 ・・・え?

前川 これはおそらく、妖怪『つつぬらし』の仕業さ。戦場に行ったはいいが、肝心の鉄砲がいっこうに火を噴こうとしない。戦略を伝える合図の花火も役割を果たさない。両軍は、不安を感じ、撤退に至った。と、私は・・・

貝谷 待ってください!

前川 ん? どうした。

貝谷 先生・・・やっぱり、おかしいですよ。それ、

前川 そうか?

貝谷 それ、僕が昨日言ったことですから・・・。で、先生は、そうではない、と言った。

前川 そうだったか?

貝谷 先生、昨日言いましたよね・・・「私が思うに、妖怪に不思議な力はない。」

前川 なるほど。そう思っていた時期もあったかもしれない。だが、どうだろう。圧倒的な事実を前にして、我々は、なにを信じるべきなのだろうね。己の信念・哲学なのか、それとも、今、目の前で起こっていることなのか。君だったら、どちらを信じる?

貝谷 ・・・・・・僕の知っている先生は、自分の信念を信じるヒトでした。

前川 ・・・え?

貝谷 先生は、ただの痴漢事件を妖怪の仕業と言い、妖怪のせいにする人間の仕業と言い、人間の心の揺れさえも、妖怪と言う人でした。

前川 私は、

貝谷 ところが先生は今度ばかりはお手上げなんですか? 先生は、妖怪、妖怪と言いつつ、この社会を信じているのだと、そう、僕は信じていました。

前川 社会を・・・信じる・・・?

貝谷 例えば、その合戦がなくなったのは、妖怪『じじつつたえ』がいた。

前川 なんだ、その名前は?

貝谷 妖怪の名前なんて、僕には分かりません。ただ、使者の行方を知る妖怪が現れ、争う理由がなくなった。つつの火が消えるなんて、超常現象のせいなんかじゃないんですよ。

前川 ・・・・・・。

貝谷 先生の妖怪は、人間の中に生まれていました。争いを嫌う人間が妖怪を生み出したのでしょう。花火大会は・・・

前川 もういい・・・。

貝谷 え?

前川 もういい、と言っている。君の言いたいことは分かった。

貝谷 ・・・・・・はい。

前川 君の意見も悪くない、と思っただけだ。

風炉前 ・・・え、ちょっと、先生待ってください。

前川 すまないね、風炉前さん。私のために、こんなに資料、集めてくれたのに。私は出かけてくる。ちょっと行きたいところが出来た。

貝谷 あ、僕も・・・

前川 すまないね、ひとりで行きたいんだ。私が始まった場所へ。今の私はそこに行かなければならない、そんな気がするんだ。

貝谷 ・・・・・・。

前川 貝谷くん、

貝谷 ・・・はい。

前川 帰ったら、妖怪にとり憑かれているのは君なのか、私なのか、じっくり話をしよう。風炉前さんも、また後で。

風炉前 ・・・では、また用があったら呼んでください。

前川 そうすることにするよ。それじゃあ。



前川、はける。いったん戻ってきて、



前川 あ、貝谷くん。部屋は開けっ放しで構わないから。



はける前川、部屋に残されるふたり。

沈黙。



風炉前 ・・・・・・・・・。

貝谷 ・・・・・・・・・。

風炉前 ・・・・・・・・・・・・・・・。

貝谷 ・・・・・・あのぅ・・

風炉前 あーあ。

貝谷 はいっ!

風炉前 貝谷くん、だっけ、名前。

貝谷 はい。

風炉前 覚えておくよ。

貝谷 ひぃっ!

風炉前 それにしても、いつの間に、あなたみたいな優秀な助手がついちゃったのかしら。少し前には、いなかったのに。

貝谷 いや、僕は、助手とか、そういうのではないんですけど・・・

風炉前 はいはい、まあ、なんでもいいのよ。ただ、前川由奇奈のよき理解者がいたってこと。

貝谷 はぁ・・・。

風炉前 ねぇ・・・

貝谷 はい・・・

風炉前 ・・・・・・そんなに緊張しなくてもいいんだよ?

貝谷 バレましたか・・・?

風炉前 君は、ホント、勘がいいなぁ・・・。その、勘の良さで、思うに、私に隠し事をして、バレないとでも思った?

貝谷 ・・・・・・あるいは、と。

風炉前 ふーん。じゃあ、さ。当ててみてよ。私はだあれ?

貝谷 ・・・・・・。

風炉前 ほらほら。

貝谷 神隠し、って言葉があると思うんですけれど。

風炉前 ・・・うんうん。

貝谷 あるいは、村一番の生娘(きむすめ)を、作物の豊穣を祈って、山の祠(ほこら)に捧げたりしたと、聞いたことがあるんですけれど、

風炉前 ・・・・・・うんうん。

貝谷 それってやっぱり、そういう存在は確かにいるんじゃないかって、

風炉前 あれ? 信じちゃってるの? だったら、さっき、前川由奇奈に言った言葉はなんだったのよ?

貝谷 うそも方便と言いますか・・・半信半疑なんですよ、今も。だって信じたら・・・

風炉前 信じたら・・・?

貝谷 いえ・・・。ただ、ひとつだけ言えることは、

風炉前 お。・・・私、それすっごく興味あるなぁ・・・。

貝谷 『アキツ』というのは、この国の昔の呼び名らしいんです。

風炉前 ・・・・・・。

貝谷 きっと、その『あきつ』の歴史を紡いできた人々がいると思うんです。ただ、それだけです。

風炉前 やめた。

貝谷 ・・・・・・え?

風炉前 その方が面白そうだから。

貝谷 面白い?

風炉前 ・・・わかってるくせにぃ。

貝谷 いいえ、さっぱりでして。

風炉前 うーん・・・いいなぁ、やっぱり欲しいなぁ。

貝谷 ・・・・・・滅相もない。

風炉前 ばいばい。またいつかどこかで、はじめまして、しましょう。



風炉前、そういって、いなくなる。

貝谷がひとり、残される。



貝谷 ・・・・・・。・・・えっと、この地図、どこの地図? あれ、先生? 先生?



暗転。





【ゆめうつつ】





前川 たとえば、

貝谷 ・・・・・・?

前川 の話をしよう。

貝谷 ええ、いいですよ。

前川 説明のできない人の行動が妖怪を作り出し、人の想像が妖怪を必要としてきた。

貝谷 ええ。

前川 だが、火のない所に煙は立たぬ、というだろう?

貝谷 ということは、つまり・・・

前川 妖怪というものは存在しているのではないかと思うんだよ、こんなこと研究していながらなんだがな。

貝谷 そうなんですか・・・?

前川 あ、たとえばの話だぞ。つまり、妖怪の存在を前提に考えてみよう、という話だぞ。妖怪はいない。すべては人という存在が作り出している。

貝谷 ・・・それで、どういう話なんです?

前川 夏休みになるとひまわり畑に迷路を作るだろう。

貝谷 ・・・ええ。子どものときなんて、ひまわりのあの大きくて不気味な花がすごい背の高い所にありましたよ。

前川 あるいは、遊園地なんかには、迷路があったりしたものだ。

貝谷 はい。

前川 そういう場所は、神隠しが多かったという。

貝谷 ・・・・・・。

前川 その道の選び方、仕草が偶然にも異界への扉を開く儀式と重なり、条件を満たした途端、ぱっと、落ちる。

貝谷 ・・・落ちる?

前川 音もなく、消えるんだよ。今まで目の前にいたのに、目の前から忽然と消える。笑っていた。私も、あの子も、ただ、笑っていた。あの子と、私と、なにかが違って、そのなにかが私とあの子をあちらとこちらに分けた・・・。

貝谷 ・・・本当の話なんですか?

前川 たとえばの話だと言っているだろう・・・。

貝谷 あ、はい・・・。

前川 ただ、

貝谷 ただ?

前川 その子が、20年後、TVの中で笑っているのを見かけたよ。

貝谷 ・・・そう、なんですか。

前川 私は、その子に連絡を取ることができなかった。怖かったのだよ。「一体、今まで、どこにいたの?」おそろしくて、それを聞くことができなかった。

貝谷 先生、

前川 なに?

貝谷 先生は、いろんなところで、おんなじ人を見たりしません?

前川 ・・・よく意味がわからないが。

貝谷 何かが起こるとき、だれかがいますよね。

前川 それは、だれかは、いるだろう。なにかが起こっているんだから。

貝谷 起こった出来事はだれかが見ていて、その出来事の中にはだれかがいて、そのだれか、が「だれ」か、覚えていますか?

前川 いや、・・・・・・いちいち覚えていないだろう、街の雑踏、そのひとりひとりの顔なんて。

貝谷 時々、ふと思い出すんですよ、いろんな出来事のあれこれを。すると、どこにも、その顔がいる気がするんです。

前川 どこにも。

貝谷 どこにも、かしこにも、振り返った彼の顔も、ちらりと目を向ける女性の顔も、覚えていないはずなのに、無意識がその顔が、「だれ」であると訴えかけて、そう見せるんですよ。

前川 原風景・・・みたいなものだろうか。

貝谷 原風景・・・?

前川 日本人は、田んぼのある田舎の風景を見ると、望郷の念を抱くそうだ。そんな場所に住んだことがなかったとしても、懐かしく感じるそうだ。そんな風に、原人間・・・みたいな感じに懐かしくというか、思い出してしまう人間が存在しているのではないだろうか・・・と、君の話を聞いて、そう思った。

貝谷 ははは・・・そんなのはいないでしょう。たぶん僕のも、たとえばの話ってやつです。

前川 それがいい。

貝谷 え?

前川 笑い飛ばすというのは、一種のまじないなんだそうだ。

貝谷 笑って、飛ばすってことですか?

前川 その通り。だが、笑えばいいというものではない。笑い合わなければいけないんだ。

貝谷 一人で笑ってたら、余計おかしい人ですもんね・・・。

前川 だから、だれかといることが必要なんだよ。たとえば、私にとって、君が遊びに来てくれているように。

貝谷 ・・・はい。

前川 君がどこかに行きそうになったときには、手を引いてやろう。だから、私がどこかへ行きそうになったときには、

貝谷 ええ、そのときは、きっと。





暗転。



これにて閉幕。











あとがき

「おばけなんてな~いさ~♪おばけなんてう~そさ~♪」がずっと頭の中で流れています。