風人の話

作・なかまくら

2010.6.13



 風が吹いて風見鶏が回ったら、手紙が届いた合図だ。

「手紙だ! きっとウェルバーのおじさんからだよ!」
「あ、待ちなさい! お行儀悪いですよ。」

 給仕をしてくれている家政婦のアマキさんの声は、風のように走るぼくには届かない。階段を登って、それから屋根裏へと続く梯子をぐいぐい上る。そこが、ぼくの部屋だ。三角形の天井の小さな部屋で、庭に面した壁にはアーチ窓があって、それをぼくは勢いよく開ける。たっぷりのママレードを塗った焼きたてのパンはくわえたままだ。
 開けると、まだ少し夜が残っていて、風がひんやりと感じられた。そして、朝焼けのオレンジ色が街のずっと向こうのほうに遠ざかっていくのが見えた。それはいつもとはちょっと違う街のようで、そこに座っている人に一瞬気がつけなかったくらいだった。

「あ、すみません。少し羽を休ませてもらっています。」
「あ、いえ・・・。」

 ぼくはいつも学校で発表するときみたいに、少し口ごもった。どうすれば良いのか分からなくなって、パンを齧った。ママレードジャムの甘酸っぱい香りが口の中に広がり、溢れた唾液をごくりと飲み込んだ。それから隣に座っている人を目だけ動かしてそっと観察する。その人は、たぶん自分より少しだけ年上に見えた。手紙の配達人だった。ポストの横に座っていた。
「すぐにいなくなりますので、秘密にしておいてもらえませんか。」
 その人は、穏やかな口調でそう言った。その表情や仕草は自分よりずっと大人で、あまり年も変わらなそうなその人に、ぼくはもごもごと口を動かして返答をすることしかできない。
「あ、はい・・・。」
「ありがとうございます。君が良い人で助かりました。」
 その笑顔は、ぼくに接してくれる大人達よりも、ずっと優しそうだった。
「いえ・・・。」
「そろそろ行きます。さようなら。」
 その人は、そう言って立ち上がる。
「あ、あのっ・・・。」
 ぼくは何か言わないといけないと思って、思いを巡らせる。それから、身体が前のめりになって、言葉を出そうと頑張る。
「いつもお手紙、届けてくれて、ありがとうございます。」
「・・・はい。どういたしまして、です。」
 その少年は、少しだけにこりとして、飛んで行った。
 ぼくは、どこにでもある平凡な言葉しか出てこない自分に、少しがっかりして、でも、気持ちを伝えてくれる言葉があることに少し、感謝した。そして、手紙をポストから取り出して、部屋へと戻る。戻りながら、今起きたことを思い出す。

 その少年は、ぼくよりも少しだけ年上で、きっと学校に行かずに働いていて、そして、羽の生えた人だった。



 ――― 拝啓、ウェルバーおじさんへ。

 こんにちは。羊の毛狩り、楽しそうです。今年もお母さんが許してくれなかったので無理ですが、来年こそはきっと手伝いに行きたいです。大きくなったら手伝いに行くって約束だったのに、なかなか行かせてもらえず、残念です。もし行けるときになったら、その時はきっと父さんにうちの自慢のパンを焼いて持たせてもらいます。母さんも父さんも忙しそうです。家政婦のアマキさんも良くしてくれていますが、やっぱり時折、たまらなく寂しいときがあります。

 それから、おじさん。これは秘密なんですが、ぼく、昨日・・・おじさんからの手紙をポストに取りに行こうと思って、屋根に上ったら、素敵な出会いがあったんです。



「何書いてんだ?」
 ふと顔を上げれば、クラスメイトのアンサムがバットを片手にこっちを見ていた。
「手紙を書いているんだ。」
 ぼくは、手を広げて見せる。
「手紙? 紙に書いて、届けてもらうやつ?」
「そうだよ。」
 アンサムの口調にはどこか嘲笑する調子が混じっていて、ぼくは少しムッとして言葉を返した。
「いや、ごめんごめん。そんなつもりじゃないんだ。でも、電話じゃダメなのかって思ってさ。言いたいことは、直接伝えたほうが、早いだろ?」
 糸電話が出来て、すっかり手紙の人気はなくなってしまった。
「でも、遠くにいる人にはやっぱり、手紙でなくちゃダメなんだ。」
「そうだな。でも、そんな遠くにいる人と、友達にならなくても、近くの人と、仲良くするのが大事だって、おれは思うけどな。手紙はそれくらいにして、野球、やりに行こうぜ」
 アンサムは、そう言って、いつもぼくを誘ってくれるのだ。
 ぼくは、頷いて、ペンを置いた。



 甲高い打球音が響いて、打ったボールは、空に上がる。空には所狭しと張り巡らされた糸電話の線が走っていて、それにぶつかりそうなほど高く上がった打球は、やがて飛び続けるのをあきらめて、落ちてくる。そして、グラブにすっぽりと収まった。
「はい、交代だ。」
 ぼくはバットを渡して、セカンドの守備についた。コン。打席から情けない音がして、でも、暴れるようにぐらぐらと不規則に揺れ動くボールがぼくに向かって飛んでくる。それをぼくは、両手でグラブの中に必死に閉じ込める。そのままじっとしていると、ボールは動かなくなった。
「ナイスキャッチ!」
 声をかけられた。それが照れくさくて、ぼくはボールをピッチャーに少し慌てて返した。


「よし、昼休憩。午後は1時から再開だ。」
「おーす!」
 それは、ぼくにとって、憂鬱な昼ごはんの時間だった。
「お前は、またパンかよ。」

 ぼくの父さんは厳しい。ぼくは早起きして、毎日パンを焼く特訓をしている。でも、どれだけ早起きしても、父さんはぼくより早く工房にいる。父さんはいつ寝てるのだろうか。昼間は、母さんがお店を切り盛りしているから、その間に寝ているのかな。
「変な形だな。失敗作を息子のお弁当にしてるのか。」
 クラスメイトがいつものからかいを此方に投げてくる。
「違うよ。これは、ぼくが作ったパンなんだ。」
 ぼくはいつもたまらず言い返す。


「それにしても。・・・お前の守備の動き、ちょっと半端じゃないよな」
 そう言ったのは、守備のポジションが同じイロスカの取り巻きたちだ。
 話題はすぐに移り変わる。本気じゃないのだ、お互いに。
「普通だけど」
 ぼくは、そう答えるけれど、心は少しだけドキリとする。
 それに対して、
「お前、実は羽でも生えてるんじゃないのか?」
「そ、そんなことないよっ!」
 取り巻きたちに対して、ぼくはついムキになって言い返してしまい、しまったと思った。

「お、ますます怪しいな」
「そんなことない」
 ぼくが彼からレギュラーを奪ってしまって、それからぼくらの仲は微妙だった。

「あらら、もしかして図星だったりするわけ」
「ちょっと見せてみろよ?」

 取り巻きたちが調子付いて、そんなことを言い出す。いろんな思いを心の中に押し留めようとして、ぼくはきゅっと唇を結んだ。からかう口実がほしいだけなんだ。取り巻きたちは、彼の顔を伺って、GOサインを待っている。それを見たイロスカは、こちらを一度みて、それから、
「ばかばかしいな・・・」
 そう言って、つまらなそうに仲間を見た。

「おれはおれの力でポジションを取り戻す。」
 イロスカはそう言った。
「でも、こいつ、もしかしたらズルしてるのかもよ?」
「・・・鳥の血が混じってるなら、いずれその羽を隠すことはできなくなる。その時、おれたちがやっぱりなって笑えれば、それでいい。行くぞ」

 彼はそう言って、仲間を引き連れて、去っていった。


 ぼくは、肩甲骨の辺りをそっと撫ぜる。
 羽の生えた人は忌み嫌われているのだ。なるべく姿を見せず、生きていくのだ。



「君はそうやって何度も会いに来るけれど、本当は君たちに見られてはならないんだよ。」

 ぼくが再び羽の生えた人と話したのは、それから少し経って、おじさんに出した手紙の返信が再び来た時だった。
「うん。でも、ぼくと君は、本当は全然変わらないと思う。」
 おじさんには、手紙で羽の生えた人に逢った事を話した。おじさんとぼくだけの秘密だった。羽の生えた人は理性を上回る本能があって、それを抑えられない亜人なのだと聞いていた。けれど、そんなことはなかった。少なくとも、ぼくの前にいる人は他人を思いやることのできる人だと思った。

「そうかな。でも、君たち人間がおれたちにしていることは、恐ろしいことなんだ」

 今度おじさんに手紙を書こうと思う。糸電話の線が張り巡らされた空は、彼らの自由を奪ったのだそうです。ぼくらは便利になったけれど、代わりに彼らは自由を失ったそうです。でも、この自由は、いつか、ぼくたちすらも、雁字搦めにしてしまうような、そんな気がしています。ぼくたちは、どうしたらいいんでしょう。
 羽の生えた人にも聞いてみたのです。
「わからないよ。おれにも。ただの羽の生えた人の一人に過ぎないから」
「ぼくも、羽の生えてない人の一人に過ぎないよ」
 ぼくはそう言った。でもそれは、あとから思えば、ひどく無責任で残酷な言葉だった。
 生きていく世界なんて、変えられないのかもしれない。でも、あとからあの時、違う選択をすることだってできた、と思うのかもしれない。でも、ぼくたちにはまだ早すぎたのかも、しれない。



 それからもぼくたちは何度か話した。風見鶏が回ったとき、屋根に上れば彼がいる。ひと時でも、羽を休める場所になれたことが嬉しかった。それはぼくにとっても、心が休まる時間だった。
 ある日。羽の生えた人にぼくの手作りのぼこぼこパンを手紙を添えてプレゼントした。
「手紙・・・おれに? 嬉しいな。」
「読んでよ。」
「ああ・・・もちろんさ。でも、どうして?」
「直接言うには、ちょっと照れがあって、難しいことだってあるだろう。」
「そんなこともあるか・・・。」


「ライト? 誰かいるの?」
 その時、今日はまだ仕事に出ていなかった母さんが屋根裏の窓から顔を出した。
 一陣の風が吹きぬけたのを感じて、横を見るともう羽の生えた人はいなかった。ぼくは、母さんに笑いかけて言った。
「ううん。誰もいなかったよ。ぼく、ここから見る朝焼けが好きなんだ」
 ぼくがそう言うと、母さんは、少し難しい顔をしてこう言ったんだ。

 もう、羽の生えた人と話すのはやめなさいって。

 その言葉で、ぼくは何故だか分からないけど、そのことに直感的に気付いてしまったんだ。
 ぼくは、母さんを押しのけて、自分の部屋に戻った。羽毛布団に顔を押し当てる。それはぼくがいるべき場所なんだというにおいがして、ぼくは声を上げて、わんわんと泣いた。

 それはきっといつからか本当は気がついていたことだったのだ。いつの日か、サンタクロースが心の中からいなくなるように、いつか決まっていたことなのだ。ぼくは、ぼくにとっては居心地の悪いこの場所で、パンを焼いて生きていくのだ。厭なことを言われたりしても、彼がそうしたように風になることもなく、生きていくのだ。それが彼には許されず、ぼくには許された生き方なのだから。

 それから、母さんの言いつけ通り、羽の生えた人には会っていない。
 ぼくのパンを作る腕は少しずつ上達していった。

 ある日、ポストに入っていた差出人不明の手紙には、ぼくがあの日気がついてしまったことに対するお詫びが書かれていた。ぼくはその手紙を届けてくれた誰かに、整った形をしたパンを焼いて籠に入れると、そっとポストの下に置いて眠った。


 翌朝。パンはなくなっていた。

 羽の生えた人のことは、忙しく過ごす中で思い出さない日もあったけれど、ぼくは苦しいとき、彼のことをよく思い出した。もちろん、ぼくにはあの後、羽は生えてなんて来なかったと、付け加えておこう。
 すると普通の人はこう考えるだろう。羽の生えた人は、本当にいたのかって。ウェルバーのおじさんがそうであったように、実は最初から・・・あるいはどこからか途中の時点で、いなくなってしまったんじゃないかって。

 でも、ぼくには彼の存在を信じられる理由がある。

 それは、いまでもぼくは羽の生えた人と同じで、風を感じることが出来ているからだ。

 風見鶏は、まだ回っていた。



(執筆:2010年6月13日  加筆:2025年10月11日)






++あとがき+++++++++++

相変わらず超短編というには少し長い。
少し太ったかしら。