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作・なかまくら

2012.12.6



 びたーん、と地面をたたく音がして私は振り返った。
 偶然、放課後の部会までに運ぶように頼まれていた資料が風に舞ったから、踵を返しただけ。それを追いかけるところだったから、事なきを得ただけ。けれどもし、・・・もし、そのまま歩いていたら、それは私の脳天に真っ赤な花を咲かせていただろう。

 見上げた校舎の窓に既に人影はなかった。卑怯なやり口だ。
 私は、資料を抱えたまま、〈それ〉を見降ろす。もぞもぞと不器用に地面を動き回る〈それ〉をローファーで踏みつける。何度も、何度も。無言で、無遠慮に。やがて、大人(おとな)しくなったそれをしばし観察し、それから〈それ〉の人差し指を掴んで持ち上げた。それから、生徒会から宛行(あてが)われている日当たりの悪い部室へと向かった。

 部室につくと、同級生の鵜久森が粘土を練っていた。彼は私の入ってきたのを見て、振り返る。ついでに左手のリストバンドで汗を拭って、『おかえり』と言った。私はそれに構わず、床に転がっていた体育館シューズの袋に〈それ〉を詰め込む作業に取り掛かる。それは五本の指を突っ張って、必死の抵抗を試みるが、大きく開いた袋の口に指がかかることはなく、すぅっと中に落ちる。それを確認して、素早く口を閉める紐を引く。そして紐を袋のくびれにぐるぐると巻きつけた。

「新しいの、どこで?」
 鵜久森が木の大きな机に粘土を押し付けている。粘土は手のひらで平らに押し付けられ、空気を混ぜ込まれ、塊に戻される。どうやら気に入らない造形だったようだ。塊からはまだ、元の形の記憶が少しだけ残っていた。
「校舎の窓から、落ちてきたのを拾ったの。」
「そうなんだ。どうするの、それ。」
「閉じ込めておくのよ、私がここを卒業するまで。」
 私の心身は共に、ワナワナと震えていた。怒りと恐怖あるいはもっと違う感情なのかもしれない。だが確かなことは、誰かが私を狙っていたのだ。それもつい魔がさしたどころではないことは、〈それ〉・・・左手がここにあることが何よりの証拠だった。





「あのねぇ、上野さん。私だって、あなたの気持ちもわからないでもないのよ。」
 先生はリストバンドを嵌めた左手でついていた頬杖をやめて、こちらに向き直った。私は、部会の前に担任に呼び出されていた。少し薄暗い生物準備室には、他に誰もいなかった。棚には薬液に浸され腐ることもなく保存された生物たちがいるばかりだった。
「あのね、今日は私もね、あなたの訴えに応じて左手がない人を調べてみたの。そうしたら、4人・・・該当者がいたんだけどね。」
「そうですか。ちなみに、それは誰ですか?」
 私は冷静に努めてそう言う。

「まあ、たぶん上野さんが探してる子じゃあないと思うのよ。」
 先生は困った顔を作って、こちらを向いた。そもそも私のことを信じていない、といった顔だった。それはおかしい。先生やほかの多くの生徒たちと違って、私の左手は、まだ私に従っているのだから。
「その・・・上野さんを襲ったという左手だっけ? それは今、どこにあるの?」
 そこにはどこか侮蔑の情動が混じっており、私の左手は痺れてくる。
「さあ・・・? 私、恐ろしさのあまり、逃げてしまいましたから。」
 そう回答すると、快感が左手から電気の刺激になって腕を伝い、肩のところで打ち上げ花火みたいに炸裂する。私はそれを顔に出さないように必死に耐えながら、言葉を紡ぐ。
「今頃、野良猫の餌にでもなってないといいのですが。」
 そう答えきった私に、後ろ手に回してあった私の左手は小刻みに拍手喝采を贈っていた。



「生物は自分の首を絞めて自殺することができない。」

 同じような言葉に、「息を止めて窒息死することはできない」がある。簡単な話だ。仮にA君が首を絞めようとしても、気を失ってしまえば力は緩み、身体は回復期に入る。生命とはどこまで行っても、そうなのだ。

 ところが、17才にもなると大抵の人間は左手を制御する能力を失っている。年齢に若干の差はあるものの、思春期に差し掛かる頃からそれは起こる。本心に反する行動をとると、左手は夜、布団から抜け出て、ずるりと床に落ちる。そして、一晩中床を動き回る。疲れると身体に戻り、何事もなかったように大人しくなる。初めは夜のうちだけだが、症状が進むとそれは昼夜を問わず起こるようになる。
 私はまだそれを自分自身の出来事として見たことはないし、見るつもりもなかった。

 ―――――リスタは現実に顕現したバイオハザード現象か!?

 リスタというのは、手首の離れた後を隠すためにリストバンドをつけていたからだ。
 最初にそれが起こったとき、相当に人々は気味悪がったらしい。市の図書館で新聞紙を捲(めく)ると、その頃のことが、驚(おど)ろ驚(おど)ろしく書いてあった。その後、某発展途上国において独善的に行われてしまったとされる非倫理的な実験が、〈偶然〉、世界中に知れ渡ることになる。その実験というのは、今から行われることを知らない被験者を部屋に集め、様々な行動を疑似体験させ、脳波を調べ、どのような波形が左手を分立させるのかを調べるというものだったらしい。

 その発表によれば、「人がその欲望を理性で抑えようとする時、その欲望が左手を操り動かすのだ」ということだった。



「私は学んだね、世論っていうのは、気持ちのいい嘘を吐く人に操られてしまうんだって。」

 部室は、学校の中で唯一、安心できる場所だった。鵜久森が粘土を練って、私が空いている椅子に座って、それを眺めながら、駄弁る。鵜久森は話半分にそれを聞いていて、でも、変に合わせてはくれないから、それが心地よかった。

 世論はあっという間に反転したのだ。左手を失っているものは理性に従った人格者であり、左手が残っているものは自分の欲望を抑えられない人間とされた。

「でもまあ、高所得者におけるリスタの割合がやや少なかったというのは、人間社会の闇だよね。お金持ちになるには、体裁ばかり整えても駄目ってことなんだよね。」
「どんな手を使っても、ってこと?」
 私が冗談めかして、左手を挙げる。鵜久森は、その冗談に応じて粘土で作った左手を挙げて、左手に嵌めて笑って見せる。鵜久森の左手は、いま何処かへ出掛けている。

「発生原因については、議論が続いているからねえ。」
 鵜久森は、嵌めていた粘土の左手がいつもの通り気に入らなかったようで、取り外し、ぐしゃりと潰して土に戻した。

「新種のウイルスによる症状である、というそれっぽい説から、人類の新しい進化の形態である、トンデモな説まであるみたいよ。」
 私が怪しげな雑誌で読んだ説を披露すると、鵜久森は何かを思い出して苦笑する。

「中には、宇宙人に肉体を乗っ取られていて、元の地球人が左手に逃げ込んで、分離した姿なんだ・・・っていう説まであるみたいだよ。」
 鵜久森が、粘土を轆轤(ろくろ)に載せて、回転させている。そこに練った粘土を少しずつ継ぎ足していく。継ぎ足された粘土は、境界線を失って、やがて器の一部に溶け込んでいく。

「これは参った・・・。でも、それは流石に漫画の読みすぎだと思うな。」
 私は、鵜久森の作る陶芸の形が好きだった。轆轤で作られた陶器も好きだし、手び練(ね)りで作られた少し歪な左手の造形も好みだった。私自身は、器用ではないから、歪んだものしか作れなかったが。

「事実は脚色されてしまうものなのさ。上野さん、レミングの話は知っているかい?」
「レミング・・・? 崖から飛び降りて、集団自殺するとかいう、鼠の話だったかな。」
 鵜久森は、満足気に頷いた。
「そうさ。ツンドラ地帯に生息するレミングは、3年周期くらいで、個体数が減少するんだ。それは、崖から飛び降りて自殺するからだと思われていた。」
「違うのか。」
「どうやら、彼らは新天地を目指して泳いでいくらしい。」
「泳げたのか。」
「どうやらそのようで。」
 鵜久森は、気に入らなかったのか、一度、器を潰して粘土に戻した。器を包み込むように表面に張り付けられていた手の造形も跡形もなくなった。
 それは、命を感じない、ただの塊に戻った。

「そうか・・・落ちた左手は、泳いでいけるのだろうか。」
「どこへ向かえばいいのかさえ、わからないのに・・・?」
 鵜久森もリスタなのだ。こんなに美しい陶器を作る彼の手も、時折どこかへ行ってしまう。いいや、或いは彼自身の願う姿なのかもしれない。鵜久森がその質問をしたときの表情を見て、私はそんなことを思った。

 ただ、私の左手は残っているし、それが変わる未来が思い描けなかった。

「自分のことを大事にしていれば、見えてくるものもあるさ。
 隣の部屋にいる。誰か訪ねてきたら、よろしく言っておいてくれ。」

 そう言って、私は窯の裏に作った隠し小部屋に入る。



 がちゃり、と金属が擦れる音がして扉が開く。
 薄暗いその部屋には、レンガの隙間から日が差し込んでいる。埃が舞い踊り、キラキラと沈んでいく。その中に、私の収集物はある。
 低い天井から、無数の左手が吊るされている。それは時折、思い出したように蠢くが、すぐに大人(おとな)しくなる。私は、そのとき言い知れない感情が湧き上がるのだが、それが何か分からずにいた。

―――いや、いつからか本当はその感情に気付いていたのかもしれない。教室や廊下ですれ違う〈リスタ〉達が、私には空虚な抜け殻に見えた。うまく生きていくための処世術を身に付けて、自分を殺して、清廉潔白な日常というものに溶け込んでいる。それを感じ取ったが故に、殺されかかった心たちは、左手に宿り、生き残りを図ったのだ。

 私は改めて、吊るされている左手たちを見つめる。それらからは、恐怖、憎悪、悲しみといった感情が不思議と伝わってくる。それは信頼できる本物の感情だった。それを存分に浴びようとして、私は目を閉じて深呼吸をする。

 それから天井から垂れている紐の中で、まだ空いているものを見つけ出す。その紐に、新しく手に入った左手を丹念に括り付けた。



(執筆:2012年12月6日   加筆:2026年1月4日)









〜あとがき〜

何故か、言うことを聞いている僕の手足について。