おちてこなくなった

作・なかまくら

2012.8.23



 地面にへばりつくように存在するそれを見つけたのは、「おちてこなくなって」からしばらく経ってからのことだった。

 慣れた足取りで吸盤付きブーツで壁を垂直に降りた。好奇心のようなものが浮かび上がってきて、一兎(イット)はそれを拾った。黒くて時折、陽光を浴びて不思議な銀色に鈍く光った。表面は少し溶けたような痕があって、滑々(すべすべ)していた。

 一兎は顔を上げて、辺りを見回す。そこは、幼少期の思い出の場所で、しばらくその場所があることも忘れていた秘密の場所だった。誰かが立てた宇宙人注意の看板、舗装されたコンクリートに描かれたUFOとの交信を試みる紋様・・・。一兎らはあの頃、それに夢中だった。そして、その中心には彼がいた・・・。一兎はその名前をふいに思い出して、呟いた。
「・・・月村くん。」
 前を走る月村くんが、ふっと振り返る姿が浮かび上がってきた。あの時の姿のままで。
 その場所は、街の中心から少し離れたところだった。四方を囲む建物の裏手に囲まれた場所。肩幅くらいしかない通路の先の階段を登って、誰かが作った橋を渡ったその先にあるその場所は、不思議なことにあの頃、秘密の場所になっていた。



 一兎はこの街で育った。まだ「おちてこなくなる」前のこと。踏み出した足は地面に向かって加速度的に落ちていく。それでも子供たちはまるで重さなんてないように、笑い声をたてて、駆け抜けていく。街角に立ち並ぶ高い石造りの建物に声が反響する。階段3つ飛ばしはあたり前。くるくると踊るように、街に風が吹き込んでくるように。あの頃はまだ、一兎もその中にいた。

 あの日・・・、

 大通りから道に沿って右側。靴屋のアルト・ナイイから3つめの建物。その建物と隣の建物との隙間、そこから路地裏を抜けて、階段を登って橋を渡ったその先に、思いがけずそこにぽっかりと空いた場所があった。

 コンクリートを打設された円盤。その周りに無造作に背の低い草が生えていた。背の高い建物に囲まれ、切り取られたみたいな場所だった。空き地の真ん中には、昔よく想像された宇宙人の格好のピクトグラムが描かれた黄色の看板が立っていた。名前は確か、グレイだっけ? グレイの看板は不可思議な銀色の脚でその空き地の中心に立っていた。見上げれば狭い空に、薄く月と恒星が並んで浮かんでいた。

 不意に背中に衝撃があり、前によろめく。振り返れば、月村くんが鼻の辺りを押さえて尻もちをついていた。いつの間にか、追い抜かしていたのだ。

「なんだよ急に。」
「あ、うん。ごめんごめん。」

 言葉が上滑りしながら、流れていって、

「・・・あれ? なんだこれ。」
 月村くんもそれを聞いていなかった。驚いた顔で目を丸くしている。一兎は、月村くんのその瞳に銀河が映っているような、そんな風に思えた。

「こんなのあったっけ?」「・・・誰が作ったんだろ?」「んー・・・宇宙人?」

 後から追いついてきた仲間たちが口々に意見を表明する。一兎は月村くんと、それから仲間たちと、あの日、その場所を見つけた。



 ふたりはよくその場所で話をした。それは学校のことだったり、先生のことだったり、近づいている12才のときに行われる適職テストについてのことだったりしたが、最後には結局、いつも宇宙の話になっている。

「こんな説がある。」
 月村くんは科学雑誌の最新号をさらりと開いて、諳(そらん)んじてみせる。

「この世界は何度か滅びの危機に瀕している。一度目は双子の月ができた時、そして二度目は翅(ハネ)トカゲが絶滅したときだ。どちらも隕石の衝突が原因だったとされている。隕石は破壊の使者なのか。それとも、新たなる生物の創造者なのか・・・。しかし、それを示す痕跡はほとんど見つかっていない。」

「え、証拠がないの? 滅びるくらいすごい威力だったのに?」
 一兎は家を出るときにポケットに詰め込んだ握り飯を取り出して包み紙をめくる。甘い白米の匂いが広がって、口の中に唾が出た。一兎は迷わず齧(かぶ)り付いた。

「それがすごく不思議なんだ。化石になっている翅トカゲはすごく少ない。特に、翅が残っているやつはすごく少ない。」
 月村くんはそれを浪漫として語って、一兎は少しそれを現実的に考えるというのがいつものパターンだった。
「それ、ホントかな。翅トカゲなんて、ホントにいたのかな? 何かと何かの生き物が重なり合うように倒れて、そのまま化石になっちゃって、それがひとつの生物だと勘違いされているみたいなさ、そういう・・・。」
「認知バイアス?」
「そう、それそれ。それじゃないかな。」
 一兎は、うーん、とグレイの看板を眺めながら、口をもぐもぐと動かした。
 月村くんのほうが誕生日が半年くらい早くて、12才の適職テストが先に来る。だから、勉強をしているのだろうけど、それだけでは説明できないくらい、月村くんは頭が良かった。そんな月村くんが話し相手に選んでくれていることが、一兎には誇らしかった。

「どうだろうね。」
 月村くんは、曖昧に笑った。それから、こう言った。

「ぼくはこう思うんだよ。一斉に飛び立ったんだって。」

「どこに・・・?」
 思いもしなかったそのアイデアに、一兎はなんだかすごくワクワクしながら、そう言う。

「宇宙だよ。」
 一兎はその時、ピッと立てられた人差し指のその先、指さされている宇宙空間を見上げ、どうしようもなくドキドキしていた。けれども、なんとなくそれは気恥ずかしくて、それを悟られないように、こう言って見せた。
「宇宙かぁ・・・ここのほうがあったかくて、ぼくは好きかな。」
 想像の中で、宇宙はすごく静かで、寒いけれど、真っ暗ではなくて、キラキラとした場所のよう。でも、ここにいるから一兎は、地面の温かさを知っていた。口に出してみて、そんな風に感じているのだと驚いたものだ。月村くんも、驚いているようだった。



 ―――そういえば、こんな話もした。

 月村くんは、革製の肩掛け鞄から雑誌を取り出す。

 ―― 隕石は宇宙の宅急便である。

 ―― 隕石は、水の中の生き物を陸上でも暮らせるようにしたり、翅トカゲが空を飛べるようにしたり、ヒトなんていう言葉を使う生命を生み出したりする。


「へぇ。隕石って、宇宙からきた石なんだろ?」
 一兎は、握り飯のついた指を地面に生える草で拭きながら、そんな感想を言う。
「うん。石っていっても、金属だったり、石だったり、色々あるみたいだけど。どの隕石も、宇宙の記憶を持っているから。」
 月村くんは、雑誌をしまって、肩掛けカバンから水筒を取り出す。

「宇宙の記憶?」
「うん。」
「隕石は宇宙船なんだ。いろいろな時代を旅して、この星にやってくる。きっと極稀にその中には、まだ人類が知らない、生物を変化させる未知の物質が入っていたりしてさ、それが絶滅を引き起こしたりするんだと思う」
「・・・じゃあ、ぼくたちもいつかは・・・?」
「そうさ。翅トカゲが現れたら、きっとぼくたちも宇宙船を作って、飛び立っていかないといけないんだ。」
 そういう月村くんの目には相変わらず、銀河が輝いていたけれど、一兎は少し不安そうに言った。
「宇宙船が用意できなかったら・・・?」


 月村くんはその後、すぐに、適職テストの結果を受けて、首都の学校へ進学していった。

 ―――あのとき、月村くんは、何と答えたのだったか。




 一兎は、安全帯のベルトの緩みがないか、上から順番に確認していた。それから、フックとその外れ防止装置が正常に機能しているかを確認し、続いて長いローブに切れ目やほつれがないかを丹念に確認していった。文字通り命綱なのだと、威勢の良すぎる女社長から耳からタコが出てくるくらいに聞かされた。この作業を怠った作業員が行方不明になる事故が、毎年数件は起こっている。
 一兎は17才で学校を卒業して、仕事を習い始めていた。
 街の小さな清掃会社に就職して朝から晩まで働く毎日だった。両親は、危険な仕事だと良い顔をしなかったが、一兎には、エンジニアになるような適性は振り絞っても出てこなかった。一兎はいつしか空を見上げなくなった。見上げなくなったら、上という概念がなくなるのだから、皮肉だと一兎はその恐ろしい自然現象が起こったときに、ひとり不謹慎に笑ったものだった。

 一兎は、装備の点検が終わると、ブラシを片手にもって、タンクを背負った。
「待ちな! 二人一組だって言ってるだろう!」
 社長のハンナさんがずんずんと歩いてくる。
「大丈夫ですよ。ちゃんと待ってるじゃないですか。」
「生意気を言うんじゃない。うちにやってきたときのあんたは、随分と根無し草って感じだったからね! ほっといたらどうなっていたことやら!」
「ちっとは、マシになったって、この前、言ってくれたじゃないですか!」
 一兎が口をとがらせると、グローブを付けた手で、口を摘ままれた。
「いてて・・・! 痛いっす・・・!」
「マシになったのは、ほんのちょびっとだけなんだよ! ほら、時間内に仕事を終わらせるよ! 今日は残業したくないよ!」
 そう言って、社長のハンナさんはビルの51階に備え付けられた扉から、外へ出た。一兎もそれに続く。


 「おちてこなくなって」からというもの、みんなが次第に壁を歩くようになっていった。だから、街は足跡だらけになっていて、清掃会社がたくさんできた。デッキブラシで石造りの建物の壁をごしごしと擦(こす)るのだ。夏の日差しの中、一兎の頬に汗の粒が文字通り浮かび、そのまま丸い形になって空気中に漂っていく。
 そういえば「おちてこなくなった」日も、朝から雨だったという。
 その雨は、ちょうど正午の時間に合わせて、一斉にぴたりと落下するのを止めた。雨音は一瞬にして消え、傘をさして街を歩いていた人は、空気中に止まった雨粒と正面衝突して、すぐにびしょ濡れになった。それから、妙に身体は軽く、どこかで転がるリンゴを追いかけた猫が浮かび上がったのをきっかけにしたみたいに、世界中がふわりと浮いた。慌てて近くのものに掴まらなかったたくさんの人が空に浮かんでいってそのまま、行方不明になった。

 ―――そのときのことを、一兎はあまり、よく覚えていなかった。




 一区画分を掃除し終えて、隣の建物に跳び移る。街中に張り巡らされたワイヤーを伝って、下向きの加速度を得て、着地する。足元で、ブーツが小刻みに振動する。ブーツ裏の空気がモーターで排出され、負圧を発生させているのだ。一兎は、一息ついて、作業の続きに取り掛かる。

 最初は上下左右前後が意味不明に回転してゲロまみれになったり、壁に激突するのが前提のくっそ暑いもこもこショック吸収作業服を着せられたりしていたけれど、勢いをつけずにこわごわから始まり、段々慣れた。社長をはじめ、先輩社員たちに大爆笑され、でも、温かく見守ってくれているのが分かったから、この場所は居心地が良かった。だから、今度は続けられた。

 低階層から、子供たちの笑い声が反響して、時折届く。子供の方が順応は早く、器用に壁を駆け上って笑い声を残していく。その音に何かが思い出されて、妙にぐわん、と頭の中に反響した。そして、呼ばれたようにその場所に目が行った。それは、あの時の、あの場所だった。



 「・・・隕石?」
 一兎は、消えてなくなってしまったと思っていた好奇心がじわりと浮かび上がってくるのを感じた。その気持ちのままに近づいて、それを拾った。すると、懐かしい感覚があって、地面に向かって少し、落ちた。それから、ゆっくりと起き上がって、一兎は考えた。
 そこは、街の中心からは離れたところだった。けれども、不思議なことに空をフワフワと飛びまわる時代になっても、そこは秘密の場所のままだったようだ。グレイの看板は相変わらず不可思議な銀色の脚でもって立っていた。だが、よく見れば、脚の途中がぐにゃりと曲がって、何かがめり込んだような跡があった。


「隕石がね、落ちてきたんだよ。」
 月村くんが空き地の入り口から歩いてきていた。地面に足がついていた。
「月村くん・・・。」
 一兎は驚いた。月村くんは、記憶の中にあった、あの頃の姿をしていたからだ。

「『おちてこなくなった』日に、最後に落ちてきたんだ。その隕石が。」
「この隕石が。」
「だから、ぼくももう一回だけ、ここに来られた。」
 月村くんは、見違えるように大きくなった一兎を見上げた。

 ふたりは、それから少しの間、何も言わなかった。翅トカゲの出現にそれぞれが備える約束をして、ふたりが別れてから、色々なことがあったのだ。

隕石が落ちてきたからいけなかったのか、グレイの看板の脚が曲がってしまったのがいけなかったのか、・・・後から思えば、それはふたりを分けたのはなんだったのだろう、ということぐらい。


「ほんとうは、きみだったかもしれないんだ。」
 月村くんは、ぽつりとそう言った。
「え?」
「初めにこの場所を見つけたのはきみだったからね。」
「そうだったっけ?」
「だから、ぼくはきみといつも一緒にいたんだ。きみの、隠されたものを見抜く力にあこがれていたんだ。」
 月村くんは、愉快そうにそう言った。どこか遠くて近い場所を眺めていた。それは昨日の自分の若さに苦笑するような、そういう眼差しだった。

「ぼくも頑張ったんだ。きみがいる場所に上っていこうって。だけど、うまくいかなかったんだ。」
「いまはもう知っているんだ。きみが、随分と頑張ってくれたことも。だけど、いまはもう・・・わかるだろう?」

「わかってなんかいないんだ、きっとほんとうは。」
 一兎は、なんとなくわかりかけているそれを、首を振って振りほどこうとした。それは、甘い糸のように、身体に絡みついて、一兎をその形に押しとどめようとしているものだった。

 ふっと笑って月村くんは、遠く、双子月を見上げた。
「竹取物語というお話を昔、どこかで一緒に読んだね。姫様は月の衣を着ると現世のことなどきれいに忘れて月に還って行った・・・ぼくたちもきっと還る時が来たんだ。」
 月村くんの来ていた服は、いつしか半透明な衣に置き換わっていて、その透明な服の繊維が浮かび上がっていた。
「一緒に来るかい?」
 月村くんは、腕を少し開いてふわりと浮かび上がると、一兎に手を差し伸べる。
「ぼくたちはほかの仲間と一緒に過ごすこともあったけれど、多くのときをふたりで過ごしたね。誰かといるとき、ぼくたちは、人間でいる素振(そぶ)りをしていたように思う。誰かと誰かの話しているのを真似して、それらしく振舞う術を探していた。ぼくは、それが苦しかった。」
「そうだね。」
 月村くんは、頷いた。


 やはり、かつて翅トカゲたちはどこかへ飛んで行ったのだ、と一兎は思った。
 そして、どこかに楽園を見つけた彼らは、招待状代わりに隕石を送ってきたのだ。
 月村くんは、その宛名のない招待状を受け取ったんだ、きっと。


 でも、と、言葉が口をついて、続けて、一兎は言った。
「おちるとかじゃないんだ。どちらが上で、どちらが下か、とか、そうじゃなくて。・・・そりゃあ、そうありたいとか、そうなれたらいいなって、思うことはあるよ。だけど、いま、自分がいる場所が、自分の場所なんだっていまは思えるから。だから、この場所で頑張ってみようって思うんだ。」

 一兎が手に持っていた隕石は思っていたよりもずっと軽かった。でも、久しぶりに確かな重さを感じた。その感触を心に刻んでから、月村くんに渡した。隕石は、月村くんが持って行っていくのだ。

「だから、一緒には行けない。」
「そうだね。」
 月村くんが頷いて、
「ごめんね。あのときは、ぼくたちふたりともどこかへ行ってしまいたかったのに。」
 一兎はなんとなくその言葉が今の思いに合っているようにと思えて、そう言った。
「そうだね。きみにはもう、この石がなくても大丈夫なんだろう。ぼくにこの石があったほうが良いように。」
 月村くんは、頷いた。きっと、それはどちらがいいというわけではないのだ。

 この場所から、首都へと飛び出していった月村くんは、もっと遠い何処かを目指していって、この場所にいた一兎は、ここに居場所を見つけることになった。これからも、ふたりの間の距離はどんどん離れていくのだろう。

 月村くんは少し手を振って、それからぐんぐんと空へと昇って行った。


 その石が地上を離れると、重力は思い出したように、ぼくらを引っ張り始めた。月村くんが見えなくなると、すっかり、重力は元に戻っていた。一兎は吸盤のついたブーツを脱いで裸足になった。足の裏に草がくすぐったく、少し、温かかった。何かがバカバカしく思えて、笑って泣いたが、湧き上がってきた感情は、おちてこなくなった日に笑ったのとはまったく違うものだった。

 雨は地面をめがけて気持ちよさそうに降り始め、やがて止んだ。

 それから幾年かの歳月が流れて、再び「おちてこなくなる」わけだが、
 それはまた、別の誰かの物語。



(執筆:2012年8月23日    加筆:2025年10月5日)