ポカリスの越冬
木々のざわめきとともに、山向こうから風が押し寄せてきた。
ポカリスは、ブルリと肩を揺らした。揺らしてから驚いた。
生まれて初めての行動だったはずなのに、それはなんだか懐かしい行動だと思ったからだ。
「なんだこれ・・・?」
ポカリスは、ぼそりと呟いてみる。遺伝子が覚えているような、そう、太古のリズムが身体の内側からせりあがってくるような、そんな感覚だった。
「どうした?」
前を歩いていたダラッカが振り返った。畑で耕作した作物を市場へ売りに行く途中だった。
「ああ、うん。なんだろう、こう、身体が振動してさ、なんだか、そうすると少し温かいんだ」
ポカリスは自分の体を強く抱いて、振動を止めようとした。止まらなかった。ダラッカが、なんだよそれ、と鼻で笑って、それからポカリスをまじまじと見て、考え直す。
「とりあえず、C.C.に診てもらうか?」
ダカーラの指さした向こう、通りの向こうの丘の上に白い建物があった。
「そうだな」
ポカリスは、次第に大きくなる身体の振動を抑えられず、ガチガチと歯を鳴らしながら頷いた。改めて辺りを見回せば、今日は妙に、街を歩く人が少なく静まり返っており、持ってきた野菜もどれだけ売れるか分からなかった。二人は、荷物を背負ったまま、白い建物へと向かう。
その建物には赤い十字が描かれている。それは、身体を開いたとき、中心にある器官とされている。血液が身体の中心から両手と頭へと順に流れ、一度体の中心へと戻り、それから下半身へと流れていく姿を現している。下半身へと流れた血は、再び身体の中心へ戻り、循環する。すなわち、その建物は人体を診る処であった。
静けさに包まれていた通りとはうって変わって屋内は、ざわついていた。大人たちが身体をグッとこらえるように抱きかかえ、黙っている。一方で、子どもたちは世界の終わりのように今起こっていることの感想文を述べたくっている。いつだって子どもたちは最新の言葉を操る。この状況のことを「寒い」と表現していた。
「あ、はじめに体温を測ってくださいね」
受付で細い筒が渡される。
「こんなに沢山の人が・・・。何が起こってるんですか?」
「さあ、私にもさっぱり。C.C.が、順番に問診をしますので、待っていてくださいね」
「はい。変な流行のものじゃないといいんですけど・・・」
「そうですね・・・私もそう思います」
渡された筒を手に、待合所を見れば、細い筒を口にくわえて座っている男女がちらほら見られた。
「男同士でやるのは冴えたやり方だとは思えんがなぁ・・・いくらお前の為とは言ってもな」
そう言いながらも、ダラッカが、はむ、と体温計の反対側を咥える。
「それはどうも」
そう言いながら、ポカリスは反対の端を咥える。体温の差を利用して、筒の中に入った線が、ゆっくりとダラッカのほうへと動いていく。ポカリスのほうが体温が高いということだ。「お前、寄り目だな」ダラッカが、筒を噛んで、悪気なく指摘してきたので、ポカリスは寄り目のまま睨んでおいた。
*
ふいに、ひとりの少年が入り口から飛び込んできて、叫んだ。
「フユーだ、フユーが来るんだ!」
ポカリスはその少年を知っていた。
この街の、街外れに奇妙な銅像がある。それは随分と大きく、中には人が住んでいたりする。ゴゴテはそこに住んでいた老人の息子だった。畑からその銅像は大きく見えるから、息子がいることも知っていた。成人して働き始めたポカリスよりも、10は年下だろうか。しかし、そんな何に使うかもわからないものと何のためにそこにいるかもわからない老人はこの国にはおそらく、たったひとつとたったひとりしかおらず、そして、その息子もたったひとりしかいなかった。だから見間違えようもなく、それがゴゴテだった。
「亡くなる前に、じいちゃんが言っていたんだ! フユーの訪れとともに、木々は葉を落とし、作物はできなくなる! 大変なことが起こるんだ! 変わるときには、ヒトに『震え』が出るんだ!」
ゴゴテは、一息にそこまでを叫んだ。
「震え」
ポカリスは、呟いてみて、その言葉が妙にストンとちょうど良いところに収まるのを感じた。もともとそこにあったように、忘れていたポケットから、宝物を見つけたように。これはそう、『震え』ているんだ、ふるふると・・・いいや、ブルブルと! ポカリスは、興奮のあまり立ち上がった。
後ろの座席の男も立ち上がる。ただ、その理由は異なった。
「ゴゴテ! またお前か。お前はロクなことを言わないな!」「ホラ吹き坊主が!」「ちゃんとした大人になれ!」
住人たちは言いたいことを言う。
ゴゴテは負けじと言い返す。
「でもさ、聞いてくれよ。聞いてくれよってば! きっとこれは前兆なんだ。きっとロクでもないことが起こる! だったら、そんな時くらい、ロクなことを言わないおれのことを・・・じいちゃんのことを信じてみたっていいじゃあないか! 大変なんだよ!」
その声は、透明に震えて、空気中に消えていった。
*
「待ってくれ。もう少し詳しく話を聞かせてほしい」
通りを銅像の方へと歩いていくゴゴテに、ポカリスは声を掛けた。震えは収まり、訳の分からない興奮が身体を包んでいた。何もかもがわからない中で、彼だけが、未来へと向かっているように思えた。
「どうせ、あんたもからかおうってクチなんだろう?」
そういうゴゴテは胡乱げにこちらを見ていて、ポカリスは笑った。社会常識的にみれば、うさん臭いのはそっちだろう、と思わず突っ込みそうになって、踏みとどまる。今はもう、そうではないのだ。ポカリスは、困ったように頬をかいた。
「いや・・・」
「まあ、からかわれるだけ、まだマシか・・・」
ポカリスについてくるように促して、それからゴゴテは住居である銅像へと向かって行った。
銅像は近づけば近づくほど、大きくなった。土踏まずから降りた梯子を上って、銅像の中に入ると、立札が立っていた。
「ホリデイ?」
「この銅像の名前。彼はかつて世界に平穏をもたらしたとされる人物なんだって」
「平穏か・・・」
平穏とは何だろうか。ポカリスは考える。その意図を汲めずにゴゴテは口をとがらせる。
「平穏なんて、おれがいう言葉じゃないんだろうけど。・・・なにせ、おれは騒ぎを起こすホラ吹き坊主らしいから」
「そう言うなよ。お前が、必死に何かを守りたいのは伝わってきたから」
ポカリスは、思ったことをうまく言葉にできたと思った。
「ふぅーん」
ゴゴテはそれを聞いて、こちらの顔を下からのぞき込む。
「なんだよ」
「一応、言っとく。ありがとう」
「荷物、持ってきたぜ!」
ダラッカが下から大きな声を上げる。ポカリスは梯子を下ろして、ダラッカを迎え入れる。
「しかし、あれだな・・・足の中に入るとまるで踏みつぶされた気分になれるな」
「平穏に?」
ポカリスがそう言って、
「・・・平穏?」
ダラッカは妙な顔をした。
「この銅像は、世界に平穏をもたらした人物だそうだ。名前はホリデイ」
「へえ。・・・それで、これからどうするんだ? いや、どうなるんだ?」
二人の視線を受けて、ゴゴテは幼さの残る身体でなんとなく背筋をピッと伸ばした。
それから、銅像の右足の親指につながる扉を開けて、中から、本を取り出してきた。
「じいちゃんの本によれば、フユーが来る。空気の温度が下がるんだ」
「夜のように?」
ポカリスがそう聞くと、
「いいや、朝も、昼も。それから、夜は、もっとずっと寒くなるんだって」
本から染み出すように、忘れられていた史実が、ゴゴテの口を借りてしんしんと紡がれていく。
「もっと・・・これ以上に?」
今までそんな素振りを見せなかったダラッカの声が少し震えているような気がした。
「よく晴れた日の夜には、空気が凍って、作物の茎や葉にそれが舞い落ちることもあって・・・。そうすると、うまく野菜が育たないこともあるみたいなんだ・・・」
「そうしたら、食料はどうするんだ」
ダラッカが、そう言って、しばらく沈黙が続いた。
「・・・とにかく、そういうことらしいんだ」
「・・・そして、雪が降る」
ゴゴテの吐く息が、すこし白んだような気がした。
*
ポカリスとダラッカは、銅像の前に火を熾(おこ)して囲んでいた。ゴゴテは書庫にこもったまま、もう2日も出てこなかった。二人はあまり文字を読むのが得意でなかったから、資料探しはゴゴテに任せて、これから訪れるフユーに耐えられる作物を検討することにした。
「とりあえず、翠嶺(ブロック・オーリー)でどうだ?」
ダラッカがそう提案するのを聞いて、
「いくつか、少しずつ植えて、試してみるのがいいだろうけど、賛成だよ」
ポカリスは同意した。翠嶺(ブロック・オーリー)は、小さな茂った木のような作物だ。煮ても、油に通しても美味しく、栄養価が高い。
「ゴゴテの話だと、その霜という冷えて固まった雨を防ぐ傘が必要になりそうだ」
「そうだな・・・」
それからしばらく、二人は静かに燃える火を見ていた。沈黙は、それがこれから来る恐ろしいもののように思えた。
「なぁ」
ポカリスは、意を決してもいないのに、そう言い始めてみる。
「なんだよ。・・・分かるけど」
ダラッカは、もってきた干し肉を齧って、もう一つをポカリスに渡す。
「分かるのかよ」
ポカリスは少し笑った。そのやり取りが、ポカリスの背中を押してくれている気がするのだ。
「わかるね、長い付き合いだから」
ダカーラが、自信たっぷりにそう答えた。
「気持ち悪いな、昔からそういうところ、あるよな。妙に勘がいい」
「いい友を持ったって、そういってほしいね」
「頼りにしてる」
ポカリスはそこで一旦、息をついた。
「おれは、平凡な人間だ。平凡な人間だから、平穏の意味も考えてこなかった」
ポカリスは、ぽつりとそう言った。
「平凡も平穏もありふれていて気付かないのさ。空気みたいなものだから」
ダラッカが、続きを促すように、相槌を返した。
「でも、そんな平凡なおれが、平穏を守ることが出来るだろうか」
「どうして、・・・自分だと思ったんだ」
ダラッカの目は、真剣だった。それは、これから挑むものを見極めようとする目だった。それをポカリスは受け止めて、それから応じた。
「彼がさ、『震え』という言葉の蝋燭に火を灯してくれた。
そのおかげで、おれの『震え』は止まった・・・。おれも、そうありたい、と思ったんだ」
パチリ、と焼(く)べた木の中の空洞が音を立てて、弾けた。
「平穏ってさ、変化のないことじゃない。変わることに備え、安心して暮らすことだと思うんだ」
「そのために、生きるんだな?」
火が、パチパチと続けざまに音を立てて弾けた。
「フユーを越えたら、銅像が立つかな?」
ポカリスがそう言って、それからダカーラが、ハハンと笑った。
さあな、冬に聞いてくれ。
(執筆:2015年12月25日 加筆:2025年10月1日)
**あとがき**
冬に書きました。